ムービービーム4
NEXT-ネクスト-フランシス・フォード・コッポラ監督による青春映画の金字塔『ランブルフィッシュ』(1983年)。あの映画の終盤でまだ中学生だったダイアン・レインは恋人マット・ディロンへのあてつけ半分でニコラス・ケイジへと乗り換える。ダイアンとマット、マットの兄貴役のミッキー・ロークがすでにスターだったのに対し、ニコラスはまだ駆け出しの俳優だった。それから数10年。事態は逆転。ダイアン、マット&ミッキーは鳴かず飛ばずになり、ニコラスはハリウッドを昇りつめた。『ブラックサイト』や『最後の初恋』などでダイアンが、そして別人となったミッキーがカムバックしたことは死ぬほどうれしい。マットは、マットという名前が災いしてか、いまだに沈んだままだ(matには光沢のないつや消しの台紙という意味がある)。1980年代後半から90年代にかけて「困ったときのニコラス・ケイジ」という合言葉が東京・大森を中心に流布。レンタルビデオ店でお目当てのビデオが貸出中だったときにニコラスの出演作を借りればハズレがないことを謳った名言だ。流行ったのは僕と友人2~3人の間でだが。
うわお、『ネクスト』について書くのを忘れちまっていた。ニコラス・ケイジのその通説がここにきて崩れようとしている。この映画など神話崩壊の最たるものだ。あのフィリップ・K・ディックの短編小説をニコラス・ケイジ主演で映画化。予知能力を持つ男がテロ組織に捕われた恋人を救うべく奔走するタイムリミット・アクション。ニコラス・ケイジ演じるクリス・ジョンソンは2分先の未来が見える。この能力を利用してラスベガスでしょぼいマジック・ショーを行ないカジノで慎ましく儲けて生計を立てている。そんな折、テロリストがLAのどこかに核爆弾を仕掛ける事件が勃発。FBIのカリー・フェリス(ジュリアン・ムーア)は大量殺戮を未然に防ぐためクリスの予知能力に目をつける・・・。
クリスが運命の女性リズ(ジェシカ・ビール)と出会い恋に落ちるまではよかった。そのあと話は進むのだが物語が展開しない。この脚本でプロデューサーはよくOKを出したものだ。スティーヴン・キングの中篇『刑務所のリタ・ヘイワース』が『ショーシャンクの空に』に化けたのとはえらい違いだ。ラストも「それはないよ!」という終わり方。あるどんでん返しがあるのだがその先の結末を見せてほしかった。ニコラスとジュリアン・ムーアの2大俳優を起用しVFXを駆使しながらA級巨編の面影も面白味もなし。クリスと出会ってしまったせいで物騒な事件に巻き込まれる、はた迷惑な悲劇のヒロイン、リズ役ジェシカ・ビールのピンナップガールっぽいセクシィな魅力が唯一の救い。おすすめ度★☆☆☆☆
ヒットマン英国のゲームソフト制作会社アイドスから発売されているゲームシリーズが原作のクライム・サスペンス・アクション。闇の組織によって完璧な殺し屋に作り上げられたエージェント47。ロシアで共産主義復興を目論む政治家ベリコフの狙撃に成功。しかし、ベリコフは生存し、娼婦のニカに現場を目撃され、インターポールとFSB(ロシア連邦保安庁)から追われる身に。任務に疑問を抱いた47は、ニカに接触する・・・。殺し屋(あるいは運び屋)とわけありの女が絡むと、どうしても『レオン』のジャン・レノとナタリー・ポートマンや『トランスポーター』のジェイソン・ステイサムとスー・チーを思い出してしまう。本音を言えば、本作の殺し屋ティモシー・オリファントと娼婦オルガ・キュリレンコのコンビに魅力を感じられなくて、ときめきを感じた旧作を懐かしんでしまったのだった。ええ、「ジェイソン・ボーン」シリーズや『フランティック』もね。まず主人公が殺し屋に見えないことが致命的だ。ジャン・レノにしてもマット・デイモンにしても、仕事を全うするときの目は、本能に突き動かされる獣のような、ある種の狂気をはらんでいる。そして、生身の人間に戻ったとき、フッと見せるセクシーさ。それがこの主人公には欠けている。『フランティック』がいい例だが、ヨーロッパを舞台に描かれた犯罪映画は、非常にロマンチックだ。この映画のヨーロッパはスタイリッシュだけど色気がない。47がニカを守ることに精力を傾け始める後半のストーリー展開も凡庸だ。まあ、当たり前だろう。この映画は、スタイリッシュな映像を仕上げることに、スタッフたちの労力の80%が割かれてるんだから。しかし、47をはじめ、組織の人間たちに統一されたある身体的特徴と刻印は群衆の中で目立ち過ぎるほど目立つのに、誰も気に留めないなんて、ヨーロッパの人々の目は節穴なのか。47が乗用するアウディと47を追い詰める側の俳優たちには惹かれるものがあった。★★☆☆☆
ブラックサイト「FBIインターネット犯罪取締官 VS 殺人サイトの首謀者」という新しい構図のクライム・サスペンス。ある日、「KILLWITHME?」というサイトが立ち上がる。最初はネズミ捕りにかかった子猫のライブ映像。次は胸に「KILLWITHME」と切り傷を入れられ縛られたテレビ局のヘリのパイロット。サイトへのアクセスが抗凝固剤にリンクしていて、アクセス数が増えるほどパイロットは失血死に近づいていくのだが、その模様が生々しく映し出される。ネット犯罪捜査官のジェニファー(ダイアン・レイン)と相棒の若者グリフィン(コリン・ハンクス)が解決の糸口を探れば探るほど、犯人が仕組んだ殺人システムは恐ろしく手が込んでいてUNTRACEABLE(追跡不能)であることが明らかになる・・・。車と携帯のハッキングをはじめ、インターネットを使った手口はハイテクのオンパレード(と思われる)。だが、犯罪をめぐって要所要所で出てくるのは、肉親の死、引きこもり、復讐、モールス信号・・・と案外ローテクだ。
最初、人間の好奇心を悪用した猟奇的な殺し方には、胸くそが悪くなり『セブン』を想起した。しかし、犯人の面が割れてからのほうが怖い『セブン』と違って、本作のクライマックスは割りとあっさりしている。(犯人がジェニファーの娘アニーに接近したときは思い切り犯人を憎悪したが)。ジェニファーをおとりにした犯人逮捕のストーリーのほうが盛り上がったんじゃないかと思った。犯人像と犯行の動機についてはコンパクトながら詳細が要領よく語られている。『犯人に告ぐ』でこれぐらい犯人側の背景が描かれていたらなあと残念だ。
しかし、思うけど、アメリカの一軒屋には必ず地下室があって、そこではいろんな出来事が巻き起こっているんだなあ。思ったより地味ながら、小気味いいテンポで話が進む、よくまとまった作品。そのテンポのよさを生み出しているのがウィットに富んだダイアローグ(対話)。こういう緊迫した場面が続くタフな映画ほどダイアローグの質は大事なことだ。ダイアローグ・ライターに拍手!FBI捜査官としてダイアン・レインを見た場合、「レクター・シリーズ」のクラリス役ジョディ・フォスターとジュリアン・ムーアに比べると、知性では及ばず、美貌では互角、体形とアクションでは勝ち。『X-Files』のスカリー役ジリアン・アンダーソンとならば、知性とくちびるは惨敗、あとは圧勝だね。★★★☆☆
イッツ・ア・ニューデイ銘柄は忘れたがペット茶のCMモデルが気になって調べたら青山倫子(のりこ)だった。出演の多さから「CMの女王」と呼ばれている。主演したTVドラマ『逃亡者おりん』は見られなかったが、「週刊文春」のグラビアを飾った彼女を見てファンになってしまった。突き放されたい衝動に駆られる切れ長のクールな目線に、たまらん魅力を湛えた女優である。その青山倫子、初主演映画。よく「テレビで十分な映画」と評される作品がある。この映画はフィルムではなくビデオで撮影されているうえに、こじんまりとしたお話のスケールからいっても、DVDで観るにはうってつけのテレビドラマそのものの作品だ。
東大卒にもかかわらずエリートコースをはずれてしまった冴えない商社マン・甲斐智成(時津真人)は、ある日突然、ストレスから耳が聞こえなくなる。いっぽう、フランスの大学を卒業しMBAを取得した派遣社員でシングルマザーの柚月沙織(青山倫子)は、甲斐の商社へ勤め、しかも甲斐のパートナーとして働きはじめる。甲斐は、なぜか、沙織とその息子・勇馬の声だけは聞こえるのだった…。
不器用なために、あるいは器用すぎるために、職場で自分本来の姿を見せられず、毎日の生活のなかで孤独を感じてしまう。そんな誰もが抱えている心の痛みが、自分の本当の姿を認めてくれる理解者を得ることで、癒されていく。一見、使い古されたストーリーなのだが、時津真人が、気弱で頼りなさそうながら、他人への深い優しさをもつ青年を好演していて、新鮮。青山倫子を単なるキャリアウーマンではなくシングルマザーにした設定も効いている。仕事と育児のはざまで彼女が抱く葛藤には多くの人がシンパシーを感じるだろう。
たとえばフジテレビが木村多江とユースケ・サンタマリアを使ってドラマ化したより地味な作品だが、「北区つかこうへい劇団」のメンバーによる芝居のアンサンブル、テレビタッチの演出とカメラワークなどがほどよい「まとまり」を生み出し、オーバーディレクションに陥らず、誰もが共感できる、働く人への応援ムービーに仕上がっている。ただ、青山倫子ファンとしては、本編よりメイキング映像と彼女のインタビュー映像のほうが面白いのがタマにキズ。ラストは、あと10分プラスして(本編75分)、甲斐と沙織が協力して仕上げたプランを実際にプレゼンし、好感触を得て、その結果、2人の距離が近づいたことに喜びを見いだす終わり方もあると思った。★★★☆☆
暗いところで待ち合わせいやあ、いい映画だったあ。ほぼすっぴんの田中麗奈が見られるという以前に、映画として出来が出色だ。作家・乙一(おついち)の代表的な長編小説を今村昌平の長男で『AIKI』を撮った天願大介の脚本・監督で映画化。2006年公開作品。130分という上映時間を長いと感じない。いやあ、むしろこの物語を十分に描くには130分よりもっと時間をかけてもいいと感じるくらい。あらすじは、こんな感じ。交通事故がもとで視力をほとんど失ったミチル(田中麗奈)は父親(岸部一徳)を失い、小さな駅が見下ろせる家で、親友のカズエ(宮地真緒)らに支えられながら、一人暮らしを始める。ある日、駅のホームで人身事故が起こり、印刷会社に勤務する松永(佐藤浩市)が亡くなる。殺人容疑で警察に追われた松永の職場の後輩アキヒロ(チェン・ボーリン)がミチルの家に逃げ込み、気付かれないように潜む。数日後、ミチルは誰かがいることを確信するが、アキヒロに危害を加える様子がないので、ミチルは気付かないふりを続ける。そうやって二人の奇妙な共同生活が始まった…。
小説での設定と違いアキヒロは中国人とのハーフで中国育ちである。職場で「いじめ」に遭い強い孤独感と疎外感、そして敵意を抱いている。ミチルもまた自分の周りに柵を張りめぐらし、殻に閉じこもり、そこから出ようとしない。アキヒロは職場で、ミチルは友人と、言葉を交わす相手との関係では本当に心を開くことができないでいる。しかし、ある目的を果たすために侵入者になり続けるアキヒロと、その存在感からしかアキヒロのことを知るしかないミチルとには、二人の間にしか生じ得ない信頼関係が生まれ、その関係はじわじわと心に広がっていく。
中国の母に偽りの幸福を電話で知らせるばかりのアキヒロ。父親の葬儀の日に戸口まで来て帰る母親に向って「おかあさーん!」と何度も叫ぶミチル。お互いを闇の中から救うのは、闇の中でもがくお互いの姿なのだ。この感情の深みを、弱冠23歳で描いてみせた乙一の資質と、それを映像化した天願監督の誠実な描写力は素晴らしいとしか言いようがない。ぎこちない生き方しかできないアキヒロを健気に演じたチェン・ボーリン、内向的な性格の女性という今までにない役を演じることに挑んだ田中麗奈。二人の演技がさりげなく結実するラストでは、気持ちに日が差し込んでくるようだった。★★★★★
by kzofigo | 2008-10-30 11:30 | ムービービーム























