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赤塚不二夫が逝ってしまったのだ     

 30年以上も昔の話なのだ。まだ夫婦だったジャズピアノストの佐藤允彦と中山千夏がDJを務めるTBSのラジオ番組に、デビューして間もないタモリが「密室芸の達人」としてゲスト出演していたのだ。高校生だった僕は、タモリがくり出す「四か国語麻雀」や「ひとりビッグバンド」のネタに度肝を抜かれたのだ。福岡でボーリング場の支配人をやっていたこと、自分の宴会芸を偶然に見た山下洋輔や高平哲郎たちによって東京に引っ張り出されたこと、赤塚不二夫の家に居候していることを、番組でタモリ本人の口から聞いたのだ。

 1998年に食道がんの手術を受けたあと、自宅で養生をしている赤塚不二夫を紹介するテレビ番組を見たのだ。相変わらず昔のタモリ同様に自分が面白いと思う人間を家に住まわせ、医者からは止められているはずの酒をあおっていたのだ。「流浪の番組・タモリ倶楽部」では、雪深い別荘に仲間が集まって宴会芸を披露する中で、酔っ払った赤塚不二夫とタモリは全裸になって外に飛び出し、積もった雪に向かってダイビングをくり返していたのだ。


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 1960年代に生きる男子小学生にとって、赤塚不二夫の漫画は、青汁を飲んだあとに日直から受け取る口直しのドロップキャンディや給食の献立がフルーツポンチのとき必ず添えられる昆布巻きのように、あって当たり前のものだったのだ。「巨人の星」や「あしたのジョー」のようなスペシャル感はなく、永井豪の「ハレンチ学園」みたいなエキセントリックさもない。が、なくては困るものだったのだ。なぜならば、「おそ松くん」や「天才バカボン」や「もーれつア太郎」を読んで、人間という生きものは「バカをやってなんぼ」という、尊い教えを学んだからなのだ。

※恥ずかしながら「おそ松くん」が「お粗末くん」であることにいま気づいたのだ。マジで。生きててよかったのだ。

 赤塚不二夫が生んだ漫画の中で最強のキャラクターといえば、イヤミでもニャロメでもなく、バカボンのパパなのだ。日本のギャグ漫画史上最強のキャラクターといってもいいのだ。バカボンのパパが一体、何歳なのかは長きにわたって謎だったが、テレビアニメのエンディングテーマで「41歳の春だから~♪」とあっさりバラされ、自分が41歳になったときは、「俺もバカボンのパパと同じ歳になったのだ」と妙に誇らしい気分になったのだ。赤塚漫画の登場人物たちは、誰もが赤塚不二夫の分身だと思うが、シャイで自由で何かしでかしそうなバカボンのパパにいちばん投影されているような気がするのだ。

 赤塚不二夫の生き方を見て、オトナという生きものは「バカをやってもいい人間」であると勝手に解釈していたのだ。赤塚不二夫が脳出血で倒れてから、バカをやるオトナが見られなくなって淋しい思いをしていたが、これで本当に見られなくなってしまったのだ。これからは、「こんにちは」を「シェーッ」に変えて、僕たちがバカをやっていくのだ。そうしないと、赤塚不二夫は元漫画少年たちを、天国の「トキワ荘」から、きっと永遠に煽るに決まっているのだ。

もっとバカを
やりなさい!

by kzofigo | 2008-08-05 09:54 | ガッツ・エンタテインメント