2/12 水島コンビナート
長ドスと日本刀を持った若い衆二人が取り巻いた子どもたちの眼前で啖呵を切る。そんな修羅場が日常的だった昭和30年代終盤の水島工業地帯。全国から集まった労働者で沸くブームタウンの飯場で幼稚園時代を過ごした。目の前には親父が勤める製鉄工場があった。近所の悪ガキと引き込み線に置き石をして遊んだ。
バイトで水島に行って来た。やはりこの街は手強かった。
コンビニがあると必ず飛び込むのだが、店長が出勤していない。20店舗ほど回って日がどっぷりと暮れた頃、やっと会えた店長は大工の棟梁のようだった。「ゴミ箱の上にでも置いとけや」と言われ「へい!」と返事をしていた。ずっと安全パイだった携帯ショップにも立て続けに断られた。
水島港に近づくほど作業服を着たコンビニの客がワイルドになっていく。その客を、夜はスナックでダブルワークしているであろうイザベル(仮名)が、カタコトの日本語でさばいていく。
大阪では同和解放連盟本部のあるヤンキーと筋モンのホームタウンに住んだ。東京ではヤンキーの影を追い求め週末は歌舞伎町に入り浸った。岡山では用心棒代を断られた男が逆恨みしてダンプカーで店に突っ込んだ。
バイオレンスな要素が渦巻く街に引き寄せられるのは、幼少時代、水島での日常が原体験になっているからだろうか。
久々の水島は、玄人の街だった。
by kzofigo | 2018-02-12 23:14 | トラベリング・ボーイ