人気ブログランキング | 話題のタグを見る

1/31 モノリスに触れた雪舟

総社市「よこた手打ちうどん店」の「牡蠣天うどん」で

ほっこりと親友OTを供養したあと、

雪舟が幼い頃に修行した中国地方屈指の名刹・井山宝福寺へ向かった。


1/31 モノリスに触れた雪舟_b0137183_00102057.jpg
「雪舟碑」の材は仙台石。高さ4.5m、幅1.5m、厚さ36cm。上段は雪舟の自画像、下段は藤井高尚の撰文、頼山陽の筆による碑文であり、画聖の雪舟、国文学の泰斗たる高尚、漢文学の白眉たる山陽という三大文化人によって成る碑であるため、「三絶の碑」と呼ばれている。



宝福寺では高木群に見守られ、発見時期不明の「モノリス」が祀られている。


1/31 モノリスに触れた雪舟_b0137183_00102650.jpg
山門前に「七福神」がよくお越しくださいましたとお出迎え。折しも、前半期の乃木坂46で福神の常連であり影のキャプテン的存在だった生駒里奈が卒業を発表。何度目のサヨナラか? さみしい (T∧T)



約500年前、総社市赤浜に生まれ、

12歳のときに宝福寺に入門し小僧となった凡庸な雪舟少年は、

モノリスに触れてからというもの類い稀な画才を発揮するようになり、

足を使って涙で鼠の絵を描いた。

あの有名な逸話の誕生である。


1/31 モノリスに触れた雪舟_b0137183_00103254.jpg
「仏殿」は、別称「法堂」(はっとう)。御本尊の虚空蔵菩薩を安置している。およそ300年前、当地の豪族・薬師寺次郎左衛門が「力乞い」のために刻んだと伝えられる霊験あらたかな仏様だ。



というのはウソで、これはモノリスではなく、昭和3年に建立された「雪舟碑」だ。


1/31 モノリスに触れた雪舟_b0137183_00103862.jpg
戦国時代に起こった備中兵乱のため、天正3年(1575年)には三重塔を残し伽藍のことごとくを戦火により失った。その後、江戸時代初期に復興され、再び山門・仏殿・方丈・庫裏・禅堂・鐘楼・経蔵の禅宗様式七堂伽藍を備える本格的な禅寺となった。本堂にあたる「仏殿」は享保20年(1735年)に再建されている。



紅葉の頃は渋滞で往生こくが、寒波到来のこの時分に訪れるのは青空ひとりきり。

貸切状態を楽しみながら、じっくりゆっくりまったりこっくり巡ると、

宝福寺は雪舟碑ほか、お宝のような福々しい見処に満ちていると気づかされた。


1/31 モノリスに触れた雪舟_b0137183_00104267.jpg
「方丈」は、約230年前の建築。東西25m、南北16mの大殿は山内第一の大きさ。画聖雪舟が小僧時代に柱に縛られて涙で鼠の絵を描いたという伝説はこの堂内での出来事。



宝福寺は、臨済宗東福寺派の寺院で、本山京都東福寺と結びつきが強い。

七堂伽藍(しちどうがらん)を整え、

岡山県に残る近世禅宗寺院の代表的な建造物がそろう。


1/31 モノリスに触れた雪舟_b0137183_00104611.jpg
「経蔵」(きょうぞう)は経典が納められるところ。江戸時代の宝暦14(1764)年建立で、1883年改修。



岡山に観光に来られたら、おすすめ、井山宝福寺。


1/31 モノリスに触れた雪舟_b0137183_00105142.jpg
「三重塔」は、南北朝時代の永和2(1376)年に建てられたもの。県下では、弘安8(1285)年に建てられた美作市の長福寺の塔に次いで2番目に古い塔だ。宝福寺の中でも、戦国時代の戦火を免れ残っている唯一の建物。本瓦葺、丹塗りの三重塔で、各重のバランスにも優れた名塔。



紅葉と新緑の時節を外したシーズンオフに、ぜひ。



1/31 モノリスに触れた雪舟_b0137183_00111097.jpg
山門の左手に、本業を忘れて絵ばかり描いていて柱に縛られた「少年雪舟像」がある。膝の上に乗った鼠と見つめ合い、何を思うか、少年S。






by kzofigo | 2018-01-31 23:07 | トラベリング・ボーイ