6/16 産業心理学が面白い
ルソーやジェームズなど、教育学、心理学を代表する歴史上の人物とその主著を紐解く、
放送大学・心理と教育コースの基礎科目「教育と心理の巨人たち」。
その第11章(全15章)で取り上げられているのは、欧米に依ることなく、
日本で独自の歩みを進めた産業心理学者、桐原葆見(きりはらしげみ)氏(1892-1968)。
ちなみに、第10章は精神分析の始祖「フロイト」でした。
1921年(大正10年)、倉敷紡績社長で慈善活動家でもあった大原孫三郎が、
工場敷地内(現アイビースクエアの方ではなく、倉敷チボリ公園を経てアリオ倉敷となっている
元・万寿工場のようだ)に設けた大原社会問題研究所の労働衛生部門を独立させ、
紡績工場の労働環境を改善するために「倉敷労働科学研究所」を創設する。
つまり、僕の実家から歩いて10分の場所で、日本の労働科学の研究は始まったのだ。
▼労働科学研究所
この設立に携わり、研究を始めたのが、生理学の暉峻義等(てるおかぎとう)、
衛生学の石川知福(いしかわともよし)、そして心理学の桐原葆見だった。
第11章の授業では、教科書で桐原葆見のエッセイ集
『労働の生産性───桐原葆見の労働科学』と
『労働と生産性 第2部───桐原葆見の教育・技術論』のエッセンスから
桐原の労働と精神衛生に対する考え方、研究に対する姿勢、教育についての思想など
今日にも通用する多くの示唆を読み取る内容。
そして、放送授業(ラジオ)では、桐原葆見の指導を直接に仰いだ最後の弟子といわれる、
松蔭大学・越河六郎(こすごうろくろう)教授へのインタビューという形で、
「労働科学/現場主義/職業技術教育論/職場のメンタル・ヘルス/創造的余暇」という
教科書のテーマと呼応させながら、桐原の人柄と意思を再現したエピソードが語られていく。

越河氏の話がめっぽう面白い。
越河氏を通じて臨場感たっぷりに紹介される、桐原葆見の考えが先見性に満ちていて素晴らしい。
あまりに面白くて、インタビュー全編を書き起こしてしまった。
こういう勉強をやりたかったのだ。
とくに学問的な琴線に触れた箇所を抜粋しておく。
次は第12章、心理学のモーツァルト、ヴィゴツキーです。
放送大学・心理と教育コースの基礎科目「教育と心理の巨人たち」。
その第11章(全15章)で取り上げられているのは、欧米に依ることなく、
日本で独自の歩みを進めた産業心理学者、桐原葆見(きりはらしげみ)氏(1892-1968)。
ちなみに、第10章は精神分析の始祖「フロイト」でした。
1921年(大正10年)、倉敷紡績社長で慈善活動家でもあった大原孫三郎が、
工場敷地内(現アイビースクエアの方ではなく、倉敷チボリ公園を経てアリオ倉敷となっている
元・万寿工場のようだ)に設けた大原社会問題研究所の労働衛生部門を独立させ、
紡績工場の労働環境を改善するために「倉敷労働科学研究所」を創設する。
つまり、僕の実家から歩いて10分の場所で、日本の労働科学の研究は始まったのだ。
▼労働科学研究所

この設立に携わり、研究を始めたのが、生理学の暉峻義等(てるおかぎとう)、
衛生学の石川知福(いしかわともよし)、そして心理学の桐原葆見だった。
桐原葆見は暉峻義等とともに日本の労働科学の基礎を構築しただけでなく、
21世紀の今日まで、その歴史を誇る労働科学研究所を、創設期から長いあいだ
創造的に発展させてきた。この業績は世界に向けて誇れる内実を有している。
~社会科学者の時評より
第11章の授業では、教科書で桐原葆見のエッセイ集
『労働の生産性───桐原葆見の労働科学』と
『労働と生産性 第2部───桐原葆見の教育・技術論』のエッセンスから
桐原の労働と精神衛生に対する考え方、研究に対する姿勢、教育についての思想など
今日にも通用する多くの示唆を読み取る内容。
そして、放送授業(ラジオ)では、桐原葆見の指導を直接に仰いだ最後の弟子といわれる、
松蔭大学・越河六郎(こすごうろくろう)教授へのインタビューという形で、
「労働科学/現場主義/職業技術教育論/職場のメンタル・ヘルス/創造的余暇」という
教科書のテーマと呼応させながら、桐原の人柄と意思を再現したエピソードが語られていく。

越河氏の話がめっぽう面白い。
越河氏を通じて臨場感たっぷりに紹介される、桐原葆見の考えが先見性に満ちていて素晴らしい。
あまりに面白くて、インタビュー全編を書き起こしてしまった。
こういう勉強をやりたかったのだ。
とくに学問的な琴線に触れた箇所を抜粋しておく。
●労働科学研究所の目的は「真に合理的な労働と生活の条件を求める」こと。より良い条件で労働と生活がなされることを狙うのが、この目的につながっていくわけ。
●私、研究所に入ったとき、「労働科学っていうのは、労働と生活の体験がないと難しいよ」と先生に言われました。「働いて生きていくという経験がないと、働く人のこころの動きを理解することは難しい。その職業に就いて、それで生きていく体験が大事で、研究のために労働の現場を見てくるというのではないんだ」と。
●「先生、私、何もできませんね」と言うと、ニコニコしている。「職場を観察する、職場で働いている人の話をじっくり聞く、というようなことでしか私、接近できません」と言ったら、「その通りだ」と。
●さらに、私が「作業体験がないと研究はできませんか」と言うと、「作業の観察記録を土台にして、いわゆる標準労働作業時間などを決めていった。決めていく方法は相当、無理があったけれども、われわれがそのあと作業現場をつかまえるときの方法論は、しっかり教えてくれるぞ」と。
●「研究者の考えを現場で証明するんじゃなくて、現場に起こっている問題を解明して、その対策を立てて、改善していく。その対策とか改善に役立たないような研究は意味がない」と。
●現場で起こっている問題の中から抽出して、なぜその問題が起こっているのか、その法則性みたいなものを、主に組織上の問題になるけれども、そういったものをわれわれは扱っている。それが、「現場主義」っていうことでね。
●教育という観点からすると、「技術っていうのは、知識を能力にすること」って、先生は規定されています。知識を使って何ができるかということ。「それが、職業技術教育論だ」と。
●先生は絵を描くので、写生した色紙を私、頂いてます。その脇に都々逸を一句、書かれた。【首に綱かけ引いては来たが 子馬は水を飲まぬとさ】。「これ、私のことですね?」って聞いたんです。そうしたらまた先生、「そうだ」とも言わないでニヤニヤしてましたが。
●「学習する人がその気になっていなければ、どうにもなりません」と。「教育者の仕事は、勉強しようという意欲、あるいは欲求というものを、開発することに尽きるんじゃないか」と。
●情報関係のシステム設計やってる社長さんが、新入社員に「一杯、飲みに行こう」と声を掛けたら、「何で行かなきゃならないんですか」と。「ここでパソコンの前で座ってた方がずっといいです」と言う若者がいて、「どうしたらいいもんですか」と言われたわけ。こころのつながりが、もう切れてるんですね(職場のメンタル・ヘルス)。
●先生は絵を描く。自分の絵を描くレベルを高める努力の中に趣味の意味があるというのが、創造的余暇の考え方です。たとえば、「スポーツクラブに行ってテニスやってますというだけでは、本当の余暇の過ごし方とは違う」と。「テニスならテニスでいいから、自分の力を向上させるっていうところに興味を持って続けるといい」っていうことですね。
次は第12章、心理学のモーツァルト、ヴィゴツキーです。
by kzofigo | 2014-06-16 11:59 | マイ・ライフ
























