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1/27 Stevie, Wonderful ~1~

祝!グラミー賞、開催


◆プロローグ

 1976年、スティーヴィーの前作がリリースされてから2年の歳月が経っていた。当初、予定されていた新譜の発表日を半年過ぎて、ファンは「本当にレコードはでるのかい?」と疑問を持ち始めていた。それに対してスティーヴィーは「あとほんのちょっとで終わり!」と書いたTシャツを着て答えたそうだ。
 『Key of Life』はリリースされると初登場でビルボードのアルバムチャート1位をゲットした。過去、この快挙を果たしたアルバムは、当時2枚しかなかった。『キャプテン・ファンタスティック・アンド・ザ・ブラウン・カウボーイ』と『ロック・オブ・ザ・ウェスティーズ』。どちらもエルトン・ジョンだった。
 スティーヴィーは、アルバムの歌詞カードに「辛抱強く待ってくれてありがとう」と書いているが、実際に待つだけの価値は充分にあった。2枚組のこのアルバムは、いまだにステーヴィーの最も素晴らしく、円熟した作品として評価されているからだ。
 スティーヴィー自身もこのアルバムについては、1977年にUCLAで開かれたシンポジウムで次のように話している。
 「こんなに長くかかってしまったことは申し訳なく思っています。でも、僕が本当にみなさんに聴いてほしいと思っていた内容のアルバムが出来上がったので、そう申し訳ないとは思っていないのも事実です(どっちやねん!)。僕自身ベストを尽くしたし、僕の出来得る最高のものになりました」


     Songs in the Key of Life [Original recording remastered]
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◎DISCⅠ

●1.「Isn’t She Lovely」

 Keyboard以外演奏はすべてStevie。この曲なんかを聴いてると、ベースやドラムスのリズム隊は、タイムキープなんて二の次で、要はプレイを楽しめばいいのだと思ってしまう。スティーヴィーが嬉々としてベースを弾きドラムを叩いてる姿が容易に想像できるし、ハーモニカのソロも思い切りエンジョイしているのがよ~くわかる。それもこれも、この曲が自分の愛娘アイシャのことを歌っているからに他ならないんだよね。
 歌詞の内容はアイシャが生まれたときの喜びをただストレートに表してるだけだもん。でも、聴いてるこっちも心が弾んでくるのは、スティーヴィーの心に芽生えた喜びが真実で、その喜びを音楽として表現することに、何のてらいもないからだろうね。
 Aishaはスワヒリ語の女性の名。正確にはMaisha(永遠を意味するishiの派生語)から転じて人名になったそうだ。

●2.「Joy Inside My Tears」

 公式ライナーノーツでも指摘されている通り、この曲の邦題「涙のかたすみで」はホントによく出来てると思う。歌われてる内容を、見事に一言で言い表わしてるもんな。私はこのアルバムって、すごくストイックな作品だと感じてるんだけど、この曲はそれを代表するようなナンバー。とくに2コーラス目のような「さりげない本当のこと」を、こうやって言葉にしては、なかなか言えないもんだよ。
 ましてや、多くの人に聴いてもらうためには、ある程度の普遍性ってやつも必要だろうし。私たちのような凡人から見れば離れ業だよね。ラストに向かって曲調は盛り上がるけど、基本的にメロディーもアレンジも抑制が利いてると思うなあ。まあ、曲全体が地味目のサビだと言ってもいいけどね。
 「君は僕の涙に喜びを運んでくれた」~こういうこっぱずかしいこと、平気で歌えるんだから、ミュージシャンっていうのは自己顕示の強い連中だよね。私にはできません。

●3.「Black Man」~S・Wonder&G・Byrd

 「Village Ghetto Land」と、この曲の作詞を担当したGary Byrdは、かなり社会的問題に強い関心を持っていたと見受けられるね。ライナーノーツに記されているところの「エデュテインメント的な要素が前面に出た曲」の「エデュテインメント」はeducationとentertainmentを合わせた造語だろうね。「啓蒙娯楽」といったところかな。
 歴史の要所で重要な役割を果たした人々~The People in the Key of History~がこれでもかこれでもかと連呼されてゆく。タイトルは「Black Man」だけど、スティーヴィーが発しているメッセージのテーマは、「黒人差別」じゃなくて「不当な扱いを受けている人たちの救済」で、「人種差別」はテーマに内包される一部だと思うなあ。
 その根底にあるのがこの曲で歌われている、「この世界は『All Men、All Colors、All Races』のために作られている」ということなんだろうね。だから、登場する人物もblack man、red man、brown man、yellow man、white manと多彩を極めているんだな。
 後半の人物紹介は、教師が質問して、それに生徒たちが答えるという形を取っている。これが「エデュテインメント」ってことなのかな。非常にアメリカ的なやり方だと思う。すごくシリアスな「セサミ・ストリート」っていう感じだ。(余談ですが、僕は大学のゼミが「放送論」で「セサミ・ストリート」は卒論の貴重な資料でした)。
 ブックレットにそのTeachersとChildrenの名前がびっしりと1人1人書かれてあるのには恐れ入った。それだけじゃないんだよね、このブックレットの念の入り方は。とにかく、細かいというか、行き届いた配慮が施されまくっているのです。
 タイトルはやっぱり「Black Man」っていう方が、シンボリックでいいんだろうな。「This world was made for all men」←これじゃあ、歌を聴くまでもなくなってしまうもんな。曲はファンキー。アップテンポでキーボードを中心にホーンがからんで「迷信」や「悪夢」に近いアレンジで、。シリアスな内容にマッチしている。
 紹介されている人物を数えたら25人だった。内訳はBlack9名、Red5名、Yellow4名、White4名、Brown3名。Hayakawaっていう日系人が出てきますが、詳しくはライナーノーツでどうぞ。

●4.「Ngiculela-Es Una Historla-I am Singing」

 味濃く、ヴォリューム満点の「Black Man」のあとに「I am singing of tomorrow」などとシンプルに歌われたら、こってりコテコテ中華料理のデザートに杏仁豆腐を食べてるようで、スッキリ気持ちいいではないか。曲調もすこぶるcomfortable。「西アフリカ(かつての奴隷供給地)のコラっていう弦楽器の音色に似せた」と公式ライナーノーツに書いてあるシンセサイザーのバウンドする感じが、何かこう、頭蓋骨を揺さぶってくれるみたいに心地いい。
 歌詞は南アフリカの言語ズールー語>スペイン語>英語の順で歌われるんだけれど、それは超人種的な「Black Man」と関連性を持たせながら、なおかつ「お口直し」もねらったと考えるのが妥当でしょうね。
 どうしてこの曲の歌詞だけがブックレットの最初のページに記されているのか。その意味を知りたくてたまらない。

◎Stevie WonderとNelson Mandela。

 映画『Woman In Red』の音楽プロデューサーを務めたStevieは、世界的に大ヒットした「I just Called to Say I Love You」によって、1984年度のアカデミー賞を受賞している。このときStevieはNelson Mandelaの名のもとに賞を受けた。
 翌日、南アフリカではStevieの全曲が放送禁止にされた。「僕の曲を禁止することが人々を自由にすることを意味するなら、何度でも禁止するがいい」。StevieはUPIにそう語っている。まだ獄中にいたMandelaの解放をミュージシャンとして最も声高に主張したのもStevieだったのだ。

●5.「If It’s Magic」

 Dorothy AshbyによるHarpの伴奏とStevieのHarmonicaだけで歌われる非常にロマンチックな曲。歌詞が核心に近づいてるなあ。いや、もしかしたら、この曲こそがアルバムの核心なのかも。「If It’s Magic」の“it”って「Key of Life」のことだと思うんだけど、どうだろう?
 スティーヴィーは、社会性の強いテーマをストレートに書くこともできるし、人生の喜怒哀楽を過不足なく描くことにも長けているけれど、こういう答の周りを取り巻くヒントを見据えて、それをまるで聖書の啓示のような詞として表現するのも好きなうえに、ウマい。

●6.「As」

 このアルバムを象徴する曲だと思う。まず構成。メインパート(PART A)とリフレインパート(PART B)の2部構成であること。リフレインパートのワンセンテンスにキーワード(「As」で言えば「Always」と「Loving you」)が挟まれたサンドイッチ形式であること。そして歌詞。リフレインパートでは1つのテーマについて、いろんなバリエーションが(要は言い換えなんだけど)提示されること。「Until~」で始まるセンテンスのたたみ掛けは「この世が終わるまで」のバリエーションだね。
 てな具合に「スタイル」という点で見れば典型的だなあ、この曲は。アルバム全体として眺めると5.「If It’s Magic」が核心に近づいた総論的なナンバーだとしたら、それに続くこの曲は核心を各論的に表現し始めてるんじゃないかな。
 PART Aでは「僕はずっと君を愛する」という結論を「~ように(As)」と例える比喩を使ってる。この比喩に、その人の志向とかセンスが表われるんだよね。スティーヴィーは、歳月というか時の流れ、それに宇宙の真理(EW&Fほどではないが)みたいな所から言葉を引っ張って来るのが好きなようだ。
 「As」では、1人の人間にとって時間=人生が有限であることから生じる責任を~嫌と言うほどexampleを示しながら~キチンと引き受け、「僕らの子供の孫や その孫の日曾孫は悟るかもしれない」と、核心のパスを送る決意が生半可じゃないことを明らかにしているのだと思う。なぜかって言うと、PART Aの3フレーズ目でスティーヴィーはシャウトしてるもん。半端じゃないよ。
 で、めざす所はココ→「Until the day that you are me and I am you(君が僕で 僕が君になる日まで)」。
 このアルバムって、スティーヴィーが到達し得た核心を、スタイルを変えて歌ってるような感じがするのだ。もしそうならば、このアルバムは、非常にコンセプトがしっかりしたスピリチュアルな作品だと言える。
 で、その核心とは? それはこのアルバムを聴いた人それぞれが、自分の人生の中で見つけ出して行くもの。このアルバムはヒントでしょう。素晴らしいヒント。で、で、私はヒントとしての「As」にいちばん引かれるんです。ヒントの出し方のスタイルが私という人間の琴線感覚と激しく響き合うわけだ。気障に言ってしまえば。
 サウンド面について。特筆すべきは、KeyboardsでHerbie Hancockが参加していること。エレピによって、ベースとなるリズムパターン、そしてジャジーなニュアンスを味付けしている細かいフレージング。いい仕事してますねえ。この曲って、1回聴くとクセになるノリを持ってる。そのへんに、多くのミュージシャンに愛されてる秘密があるのかも。
 このアルバムの特徴でもあるけど、歌詞カードのビジュアル面に配慮して書かれた歌詞が多い。たとえば、この曲なら「ALWAYS」を「AL~WA~AA~AA~AA~AA~AA~YS」って、スティーヴィーが歌ってるフレーズを忠実に表記しているってことだ。でも、もしもこの歌詞をLove Letterとして渡したら相手は引くよね。もらったら私は引くぞ。その余りのディープさに。





●7.「Another Star」

 スティーヴィーのみで創り出されるモノとは明らかに違うグルーブ感だ。ピアノとベース、ドラムとパーカッションによってラテンのビートが細かく刻まれ、フィフス・ディメンションの「アクエリアス」やEW&Fを彷彿とさせるメロディーのコーラスがla la la la la~ってスケール感を持って止むことなく繰り返され、それらをバックにスティーヴィーは夜霧の第三京浜を飛ばしたくなるような疾走感で、またもや“叶わぬ愛”を歌うのだ。「As」で一件落着かと油断してたら、まだやる気か。
 う~ぬ。確かにスティーヴィーの曲に登場する男はコクり方が控え目で、それがアダになって深い傷を負うのが好きみたいだ。まあ、痛手を負いつつも、愛する人に投げかける言葉が美的感覚に優れているからメジャーなSongとして成り立つわけだけど。それにしても、ちょっと被害妄想的な自己陶酔者だなあ、この控え目男は。スティーヴィーって、きっとマゾだ。
 スティーヴィーの曲って、歌詞が長いか短いか、そのどっちかだね。この曲は8分以上もあるのに、歌詞は短い。「Summer Soft」「Black Man」「As」なんかと比べたら4分の1ぐらいだ。そのぶん、やたらとla la la la la~のコーラス部分が長い。とくにヴォーカルが終わってからの後奏は「ヘイ・ジュード」や「レイラ」より長いんじゃないかな(ここのフルート・ソロはなかなかの聴きモノ)。長いけど聴く人のハートをガッチリつかんで放さなぬパワーがある。シングルカット第3弾っていうのも、そのへんが理由だろう。
 GuitarとBackground VocalにGeorge Bensonのクレジットがあるので、音をよ~く探ってみたけれど、彼の存在は確認できなかった。

●8.「Saturn」

 曲調がアルバムの中で浮いている。マイケル・センベロと共作した影響かな。シンセサイザーがモーグの名で呼ばれてた頃の音だ。公式ライナーノーツによると「ポリフォニック」って言うらしい。モーグっていえば、何と言っても、冨田勲のアルバム『月の光』(1972年)だろう。日本人で初めてモーグ・シンセサイザーを購入したのはこの人だ。「軽音楽をあなたに」で初めてその音を聴いたときは衝撃的だった。ドビュッシーのピアノ曲を電子音でシミュレートしたこの『月の光』は、全米ビルボード・クラシカル・チャートで1位になっている。「ジャングル大帝」や「新日本紀行」のテーマ音楽の作曲者でもあるね。
 さて、「土星」っていうタイトルだから、どんな歌詞かと思ったら、地球にいた土星人が捨て台詞を残して土星に帰って行くんだと! いや、それはもちろん表現手段であってね、「反戦」っていうちゃんとしたテーマがあるんだけどね。にしても「僕は・・・星の輪が光る土星に帰ろう」だなんて。なんちゅう発想だ。
 土星では寿命が205年らしい。もしほんとならスティーヴィーなんてあと150年も生きられるじゃないか! ベタな曲のフィニッシュといい、やっぱり浮いてるよ、これ。マイケル・センベロの労をねぎらって、スティーヴィーがお情けで入れたとしか思えない。

●9.「Ebony Eyes」

 8.と9.の間に、遊びに興じる子供たちの声と爆竹が鳴ってそれに驚く歓声が入っている。公式ライナーノーツには8.の最後って書いてあるけど、曲調からすると絶対に9.のアタマの方がフィットしていると思う。
 さておき、こういう曲調は、もう無条件で好きだ。Chicagoの「Saturday In The Park」とかBeatlesの「OB-LA-DI,OB-LA-DA」とか、あとユーミンの「まぶしい草野球」とか。ポップスの王道だね。メロディーメイカー、スティーヴィーの真骨頂。なんでシングルカットしなかったんだろう。
 で、「Ebony Eyes」の内容ですが、「黒い瞳の女の子」のことを称えてるだけ。メロディーが際立ってたら、詞はもう適当でいいっていう典型的なパターン。これで詞もすごかったら、それは嫌味でしかないよ。でも、スティーヴィーの比喩のセンスがキラリと光っている。とくにコレなんか→「星たちは 彼女が微笑む時間を知ってるように 1つずつ空に輝いてゆく」。とにかく気持ちのいい曲。

●10.「Ordinary Pain」

 この曲はPARTⅠとPARTⅡで構成されている。PARTⅠは 9.とツガイのようなミディアムテンポのバラード曲。別れの後にやって来る「ありふれた痛み」と「ありふれた痛み以上のもの」とが、スティーヴィーのソフトな歌唱によって歌われる。PARTⅡは打って変わりアップテンポでタイトな曲調。Shirley Brewerのファンキーなヴォーカルによって、男への非難罵倒が、これがスティーヴィーの歌詞かと疑うくらいあからさまに繰り返されていく。その容赦ない言葉のつぶての間に、「ありふれた痛み」を挟み込むという、このアルバムで多く用いられている手法によって。

by kzofigo | 2014-01-27 14:22 | ミュージック・ブック