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June Bright

昨日は母方の長男(伯父)の20年祭(20回忌)。頑張って早起きして、
実家のAZワゴンに両親を乗せ僕が運転して直島に日帰りで帰って来た。

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いまにも降りだしそうな曇天模様。
フェリーが出航するとモヤで宇野港が霞んでしまう。もう少し視界が悪いと欠航になるところだった。

瀬戸大橋の値下げで廃航の危機にあった国道フェリーも首の皮一枚でつながっている。
それに比べると観光客が押し寄せ車が満杯の四国汽船・直島経由フェリーは恵まれている。

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大阪と山口の観光バスが計5台。習志野ナンバーの車もあった。
直島経由・高松行きフェリーのデッキがこんなに人で埋まるのを初めて見た。

客室は空いている。みんな海が見たいのだ。潮風に吹かれて開放感に浸りたいのだ。
客室のテレビは映りが悪いと決まっていたが、地デジだろうか、バッチリきれいに映っていて驚いた。

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直島・本村(ほんむら)のバス通り沿いにある母方の本家(僕の生家)で20年祭を執り行なった。
伯父の葬式のときは200人を超える参列者であふれていたが、昨日はごくごく身内の20人ほど。

20年前、親族の中心を成していた世代が80代を迎えている。その孫の世代が家庭を持ち始めている。
時は着実に移ろうもんだなあ。

20年祭のあと、遠縁の親戚が営む料理屋で昼食。
新鮮なお造り、ブリの照り焼き、揚げたてが次々と運ばれてくる天ぷらがおいしかった。

僕の右に座ったのは叔父の浜田直島町長、左は従姉のミエ姉の二女アキナ。
叔父とは、豊島(てしま)の産廃処理があと2年で終わったあとの話。
精錬所に残る産廃用プラントの使いみちについて語りあった。

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2年前は看護師をめざす女子大生だったアキナは高松の病院に勤めている(患者さんの人気者らしい)。
アキナとは共通の病気について看護師だけに専門的な話で盛り上がった。

                  ▼看護師めざし勉強中だった2年前のアキナ
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去年結婚したばかりのアキナの姉のユカも子どもを連れて帰って来ていた。
ユカと会うのは久しぶりだが、高松三越1階売場ナンバーワンという噂はガセではなかった。

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今回の思わぬ主役。ユカの長男で生後7か月のハヤト。みんなの笑顔をひとり占め。

娘が7か月のとき猛暑で蒜山に避暑に行ったら向こうも暑くて避暑にならなかった。
この出来事がトラウマとして強く印象に残っているので【7か月の乳児】には詳しい。

その頃の娘と同じようにハヤトも寝返りを打ち、よつんばいの1歩手前。
曽祖父ちゃんも天国で目を細めて見ているよ、きっと。

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直島のみんなに別れを告げて宮浦(みやのうら)港を出たら赤いカボチャが生っていた。
精錬所で働く在日ビルマ人がアウン・サン・スー・チー女史の軟禁が解かれた記念に植えたらしい。

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四国汽船の「せと丸」。何回乗ったことだろう。
夕方5時過ぎ。さすがにこの時間になると観光客も見受けられない。

僕の名付けの親である84歳の伯母。歳を取っても「圭三のあんちゃん」と慕ってくれる従妹弟たち。
ここではみんな僕のことを「圭三」「圭ちゃん」と呼ぶ。名字で呼ぶ人はひとりもいない。

大事な人たちと心ゆくまで話ができて忘れがたい1日になった。



昼食のあと、オヤジがひとりでベネッセの「地中美術館」を見に行った。
現在、美術館が建つ丘のふもとにあった一軒屋で、製塩の仕事に携わる両親と
生まれて間もない僕は暮らしていたからだ。

帰って来たオヤジに「地中美術館、どうじゃった?」と聞いたら「地中にあって見えんかった」そうだ。

安藤忠男、バンザーイ!!

by kzofigo | 2011-06-19 11:33 | 家族の友