黒鳥の湖
この映画を劇場で観よ!
MOVIX倉敷で『ブラック・スワン』を観て来た。

世界中の映画賞で112部門ノミネート、48部門受賞、最優秀主演女優賞19冠・・・この快挙は伊達ではなかった。映画の開幕から終幕までスクリーン上の「絵」が止まることはない。映画はずっと舞っている。主人公ニナ、ナタリー・ポートマンの感情に身を寄せながら。食い入るように見つめ、身じろぎひとつできず、本編終幕のホワイトアウトでは身震いがした。
『ソーシャル・ネットワーク』より衝撃的で、『英国王のスピーチ』より感動的だ。アカデミー&ゴールデングローブの主演女優ダブル受賞では済まされない。作品賞と監督賞も思い切り授けたい気分だ。
ニナがプレッシャーに耐え切れず精神に変調を来してからは画面に釘付け。ニナを取り巻く女性たちは、彼女の敵であり、同時に彼女の分身だ。競争相手のリリー、母親のエリカ、元・花形のベス。そして誰よりもニナはニナ自身に苦しめられる。白鳥は文句なしに踊れても、黒鳥を踊れるだけの狡猾さに欠けるニナ。
神に選ばれし才能といえども、壮絶な試練をくぐり抜けなくては、本物の一流になれないのだ(…現在のイチローはまさにその渦中でもがいているのだろうか…)。
黒鳥を踊るためにニナは自らの魔性を解き放とうとする。激痛を伴って自分を苛むものすべてと自分自身を突き破りながら芸術の高みへと迫っていく。その極限での痛みと目覚めは観客の神経にも伝わり、観る側のテンションも一気に昂ぶる。

そして、ニナが感知する現実と妄想のボーダーラインが失せていくにつれ、観客は悪夢までもが映画の華麗な魅力になり得ることを知る。それこそが『ブラック・スワン』の群を抜く素晴らしさだと思う。まさに、チャイコフスキーと化したダーレン・アロノフスキー監督のタクトが冴えわたるこの映画自体が、悲劇のハッピーエンドを迎える『白鳥の湖』そのものだ。
製作費が当初の半分も用意されず、ナタリー・ポートマンが1年半にわたり役作りのために行なったバレエレッスンのほとんどは彼女の自腹で、途中からはトレーラーも引き払って撮影に挑んだという。それでもバレエの出来栄えは見事なものだ。バストショットでヒロインに寄り添うように追いかけ激しく動くカメラワークと、引きの絵ではボディダブル(吹き替え)を駆使したダンスシーンも見ごたえ十分。
カメラワークで付け加えると、この映画は「鏡」が重要なマテリアルでありモチーフになっているけれど、それは「映り込み」を回避する労苦を撮影スタッフに強いることになる。ダンススタジオの壁面は全部、鏡である。1か所、カメラがニナと男性ダンサーの後ろを通り、鏡に映った2人を正面からとらえるシーンがある。
本来なら鏡にカメラや撮影スタッフが映ってしまうはずなのに、映らない。たぶん、手前の背中を見せた2人が「吹き替え」で鏡に映ったニナと男性ダンサーは壁をぶち抜いた向こう側に実際、立っているのだろう。他にも、撮影技術で唸るところが幾つかあった。撮影賞も思い切り授けたい。
この作品を評するこれ以上ないひと言をナタリー・ポートマン自身がラストシーンで発する。そのひと言と純白の野心が黒い狂気へと変化(へんげ)する凄みを確かめてほしい。ぜひ劇場で。
ブラボー!!!
★★★★★
MOVIX倉敷で『ブラック・スワン』を観て来た。

ニューヨーク・シティ・バレエ団に所属し、踊ることにすべてを捧げる内気なニナ(ナタリー・ポートマン)。ある日、芸術監督のトマス・ルロイ(ヴァンサン・カッセル)が花形のベス(ウィノナ・ライダー)を新シーズンの『白鳥の湖』から降板させる。ニナは後任プリマの第一候補だったが、挫折した元ダンサーの母親エリカ(バーバラ・ハーシー)のもとで過保護・過干渉に育てられた生真面目な彼女は、白鳥役は完璧に踊れるものの、魔性と退廃の象徴である黒鳥の踊りをうまく表現することができない。彼女の才能に期待するルロイには厳しく追い込まれ、自分と正反対の奔放なライバル、リリー(ミラ・クニス)の台頭でニナの精神は次第に追い込まれていく…。
世界中の映画賞で112部門ノミネート、48部門受賞、最優秀主演女優賞19冠・・・この快挙は伊達ではなかった。映画の開幕から終幕までスクリーン上の「絵」が止まることはない。映画はずっと舞っている。主人公ニナ、ナタリー・ポートマンの感情に身を寄せながら。食い入るように見つめ、身じろぎひとつできず、本編終幕のホワイトアウトでは身震いがした。
『ソーシャル・ネットワーク』より衝撃的で、『英国王のスピーチ』より感動的だ。アカデミー&ゴールデングローブの主演女優ダブル受賞では済まされない。作品賞と監督賞も思い切り授けたい気分だ。
ニナがプレッシャーに耐え切れず精神に変調を来してからは画面に釘付け。ニナを取り巻く女性たちは、彼女の敵であり、同時に彼女の分身だ。競争相手のリリー、母親のエリカ、元・花形のベス。そして誰よりもニナはニナ自身に苦しめられる。白鳥は文句なしに踊れても、黒鳥を踊れるだけの狡猾さに欠けるニナ。
神に選ばれし才能といえども、壮絶な試練をくぐり抜けなくては、本物の一流になれないのだ(…現在のイチローはまさにその渦中でもがいているのだろうか…)。
黒鳥を踊るためにニナは自らの魔性を解き放とうとする。激痛を伴って自分を苛むものすべてと自分自身を突き破りながら芸術の高みへと迫っていく。その極限での痛みと目覚めは観客の神経にも伝わり、観る側のテンションも一気に昂ぶる。

そして、ニナが感知する現実と妄想のボーダーラインが失せていくにつれ、観客は悪夢までもが映画の華麗な魅力になり得ることを知る。それこそが『ブラック・スワン』の群を抜く素晴らしさだと思う。まさに、チャイコフスキーと化したダーレン・アロノフスキー監督のタクトが冴えわたるこの映画自体が、悲劇のハッピーエンドを迎える『白鳥の湖』そのものだ。
製作費が当初の半分も用意されず、ナタリー・ポートマンが1年半にわたり役作りのために行なったバレエレッスンのほとんどは彼女の自腹で、途中からはトレーラーも引き払って撮影に挑んだという。それでもバレエの出来栄えは見事なものだ。バストショットでヒロインに寄り添うように追いかけ激しく動くカメラワークと、引きの絵ではボディダブル(吹き替え)を駆使したダンスシーンも見ごたえ十分。
カメラワークで付け加えると、この映画は「鏡」が重要なマテリアルでありモチーフになっているけれど、それは「映り込み」を回避する労苦を撮影スタッフに強いることになる。ダンススタジオの壁面は全部、鏡である。1か所、カメラがニナと男性ダンサーの後ろを通り、鏡に映った2人を正面からとらえるシーンがある。
本来なら鏡にカメラや撮影スタッフが映ってしまうはずなのに、映らない。たぶん、手前の背中を見せた2人が「吹き替え」で鏡に映ったニナと男性ダンサーは壁をぶち抜いた向こう側に実際、立っているのだろう。他にも、撮影技術で唸るところが幾つかあった。撮影賞も思い切り授けたい。
この作品を評するこれ以上ないひと言をナタリー・ポートマン自身がラストシーンで発する。そのひと言と純白の野心が黒い狂気へと変化(へんげ)する凄みを確かめてほしい。ぜひ劇場で。
ブラボー!!!
★★★★★
by kzofigo | 2011-06-02 23:47 | ムービービーム























