愛の劇中歌 4・4
Dedicate to Kenny Kirkland(1955年9月28日~1998年11月11日)
引っ張りだこの売れっ子から、ソロの道へ足を踏み出したとたん、夭折してしまった
全身キーボード兄さん、ケニー・カークランドに捧ぐ。
ポリスにはやられた。
1978年のデビューアルバム『アウトランドス・ダムール』(Outlandos d'Amour)の
A面1曲目『ネクスト・トゥ・ユー』(Next to You)からやられた。
その後も、『白いレガッタ』(Reggatta de Blanc/1979年)、
『ゼニヤッタ・モンダッタ』(Zenyatta Mondatta/1980年)、
『ゴースト・イン・ザ・マシーン』(Ghost in the Machine/1981年)、
『シンクロニシティー』(Synchronicity/1983年)と、 やられっ放しだった。

スティングを初めて知ったのは、モッズ少年を描いた1979年の英国映画『さらば青春の光』。
(原題の『Quadrophenia』は、ザ・フーのアルバム『四重人格』(Quadrophenia)より)
スティングはモッズ少年たちが憧れる偶像的な役を演じていた。
ポリスの1stを買ったのはその後になる。
ポリスはパンク・ムーブメントに乗っかって現われたニューウェーブ・バンドと位置づけられてるけど、
スカを取り入れた独自のサウンドを持ち、どっちかっていうと、ザ・スペシャルズやマッドネスといった
2トーン・レーベル所属の2トーン(スカ)バンドに近いと思ってる。
ポリスと同時期のバンドを分かつのは、演奏と歌が抜群にうまいことだ。
スリーピース・バンドでありながら、ほかのどんなバンドよりもリッチでカラフルな音を出していた。
これは、プログレ・ロック出身で音数の多いドラムのスチュワート・コープランドと
分散和音やディレイやコーラスなどのエフェクターを効果的に使ったギターのアンディ・サマーズ、
それにスティングのベースとボーカルを加えた演奏によるところが大きい。
そして、ほぼスティングによって書かれた曲が素晴らしかった。
『アウトランドス・ダムール』ではまだ演奏に粗野な部分が残っているが、
『シンクロニシティー』になると隙がない。完璧な音づくりに圧倒される。
サウンドとともに歌詞の完成度も高くなり、詩的で哲学的になってくる。
でもね、僕は、ワイルドでメッセージ性の強かった初期のポリスが好きなのさ。

『シンクロニシティー』のあと、スティングは「ロックは飽きた」と言ってポリスの活動を休止する。
もともとスティングは教師で、デキシーランド系(たぶん)のジャズバンドでウッドベースを
弾いていたヤツだ。ロックに強い思い入れがあったわけじゃないから、何度でも許す。
ソロ活動を始めることになったスティングがバンドに集めたメンツを見て驚いた。
・1982年から1985年の解散までウェザー・リポートのドラマーだった【オマー・ハキム】。
・マイルス・デイヴィス・バンドで演奏していたベーシスト【ダリル・ジョーンズ】。
(1993年からは離脱したビル・ワイマンに代わりローリング・ストーンズのサポートメンバー)
・ディジー・ガレスピーやエルビン・ジョーンズなどジャズ・ジャイアントから日野皓正グループまで
レギュラー&サポートメンバーとして高い評価を得ていたキーボード奏者【ケニー・カークランド】。
・父エリス・マルサリスと同じく全員がジャズ・ミュージシャンのマルサリス兄弟の長男であり
卓越した才能に恵まれたテナー&ソプラノサックス奏者【ブランフォード・マルサリス】。
・ポリスのツアーでバックボーカルを担当していた【ドレット・マクドナルド】と【ジャニス・ベンダーヴィス】。
・そしてギターとボーカルに【スティング】。
ジャズ畑のツワモノを揃えて、スティングが挑んだのは、ジャズとロック、芸術性と娯楽性を
ハイレベルで融合した音楽。求めるサウンドの純度が高く、創造力がぶつかり合う熱を発する
新しい音楽。
それをスティングと6人の仲間たちは3作のアルバムで実現した。
『ブルー・タートルの夢』(The Dream Of The Blue Turtles/1985年)
『ブリング・オン・ザ・ナイト』(Bring On The Night/1986年)
『ナッシング・ライク・ザ・サン』(Nothing Like The Sun/1987年)

1985年、アルバム『ブルー・タートルの夢』リリース後、パリから15キロほど離れた郊外に佇む
美しい古城クールソン、その城にある音響に優れたミュージック・サロンで、“ブルー・タートル・バンド”は
リハーサルを行なった。アルバム発表を受けてのツアーのためだ。
この古城でのリハーサルと、ワールド・ツアーの最初を飾るパリでのコンサートの模様を収めた
ドキュメンタリー映画『Bring On The Night』が製作されている。
冒頭の記者会見でスティング自身がこう語っている。
「ザ・バンドの『ラストワルツ』をはじめ、バンドの解散を扱った作品はぎょうさんあると思うねんな。
せやけど、これはバンドの誕生を記録した貴重な映画であるからして、皆の衆、心して観るように」
下の2つの映像はその映画『Bring On The Night』からのものだ。
古城でのリハーサルの映像は、まさにひとつのバンドが誕生する瞬間を目の当たりにできる。
そこに全員のインタビューと、堅物の英国人スティングを陽気なアメリカンたちがからかうといった、
オフショットが挟まれて非常に面白い。
映画のクライマックスのひとつは、スティングの恋人(妻かも)トゥルーディーが4人目(3人目かも)
の子を出産する、感動的なシーンだ。2日目のコンサートが終わった後に、スティングは病院へ駆けつけ、
立ち会い、トゥルーディーは無事に出産する。僕はこれを観て、自分も子どもが生まれるときは
必ず立ち会おうと決め、実際にそうした。
【Bring on the night】より
スティングとオマー、ドレット、ジャニスの4人がコーラスのリハーサルをやっている。
そのリハの映像からパッとコンサートのシーンへ切り替わる編集テクが鳥肌ものだ。
▼「We Work The Black Seam Together」埋め込み無効・・・・くやしい!!!
http://www.youtube.com/watch?v=7oUAUj_QhmE&feature=related
下の映像で赤い帽子を被って踊っている男子はスティングにスチールを一任されていたカメラマン。
アルバム『ブルー・タートルの夢』の写真は全部彼の手によるものだ。すごくいい写真を撮っていたが、
その後どうなったのだろう。
ソプラノサックスを吹いているブランフォード・マルサリスはルイジアナ州ニューオーリンズ生まれだが、
ロサンゼルス・レイカーズのトレーナーとニューヨック・メッツのキャップを着用している。
ワケがわからんヤツだ。でも、メッツのキャップを被っているっていうことは・・・いいヤツなのだ。
▼「Driven To Tears」
ちなみに、Wikipediaによると、スティングが影響を受けたミュージシャンは、ボブ・ディラン、
セロニアス・モンク、チャーリー・ミンガス、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンとなっている。
マイルスとコルトレーンの2ホーンにモンクのピアノ、リズム隊はミンガスと・・・マックス・ローチだな。
このドリーム・コンボをバックにボブ・ディランが歌うセッションを聴いてみたいものだ。
僕にとって、スティングは、『Nothing Like The Sun』で終わっている。
『Nothing Like The Sun』は、深い悲しみと嘆き、それを包み込むような愛に満ちた、
希にみる美しいアルバムだ。6曲目の『Fragile』はスティングが書いたベストソングだと思う。
その後の彼の音楽は、残念ながら、イージーリスニングにしか聴こえない。
引っ張りだこの売れっ子から、ソロの道へ足を踏み出したとたん、夭折してしまった
全身キーボード兄さん、ケニー・カークランドに捧ぐ。
ポリスにはやられた。
1978年のデビューアルバム『アウトランドス・ダムール』(Outlandos d'Amour)の
A面1曲目『ネクスト・トゥ・ユー』(Next to You)からやられた。
その後も、『白いレガッタ』(Reggatta de Blanc/1979年)、
『ゼニヤッタ・モンダッタ』(Zenyatta Mondatta/1980年)、
『ゴースト・イン・ザ・マシーン』(Ghost in the Machine/1981年)、
『シンクロニシティー』(Synchronicity/1983年)と、 やられっ放しだった。

スティングを初めて知ったのは、モッズ少年を描いた1979年の英国映画『さらば青春の光』。
(原題の『Quadrophenia』は、ザ・フーのアルバム『四重人格』(Quadrophenia)より)
スティングはモッズ少年たちが憧れる偶像的な役を演じていた。
ポリスの1stを買ったのはその後になる。
ポリスはパンク・ムーブメントに乗っかって現われたニューウェーブ・バンドと位置づけられてるけど、
スカを取り入れた独自のサウンドを持ち、どっちかっていうと、ザ・スペシャルズやマッドネスといった
2トーン・レーベル所属の2トーン(スカ)バンドに近いと思ってる。
ポリスと同時期のバンドを分かつのは、演奏と歌が抜群にうまいことだ。
スリーピース・バンドでありながら、ほかのどんなバンドよりもリッチでカラフルな音を出していた。
これは、プログレ・ロック出身で音数の多いドラムのスチュワート・コープランドと
分散和音やディレイやコーラスなどのエフェクターを効果的に使ったギターのアンディ・サマーズ、
それにスティングのベースとボーカルを加えた演奏によるところが大きい。
そして、ほぼスティングによって書かれた曲が素晴らしかった。
『アウトランドス・ダムール』ではまだ演奏に粗野な部分が残っているが、
『シンクロニシティー』になると隙がない。完璧な音づくりに圧倒される。
サウンドとともに歌詞の完成度も高くなり、詩的で哲学的になってくる。
でもね、僕は、ワイルドでメッセージ性の強かった初期のポリスが好きなのさ。

『シンクロニシティー』のあと、スティングは「ロックは飽きた」と言ってポリスの活動を休止する。
もともとスティングは教師で、デキシーランド系(たぶん)のジャズバンドでウッドベースを
弾いていたヤツだ。ロックに強い思い入れがあったわけじゃないから、何度でも許す。
ソロ活動を始めることになったスティングがバンドに集めたメンツを見て驚いた。
・1982年から1985年の解散までウェザー・リポートのドラマーだった【オマー・ハキム】。
・マイルス・デイヴィス・バンドで演奏していたベーシスト【ダリル・ジョーンズ】。
(1993年からは離脱したビル・ワイマンに代わりローリング・ストーンズのサポートメンバー)
・ディジー・ガレスピーやエルビン・ジョーンズなどジャズ・ジャイアントから日野皓正グループまで
レギュラー&サポートメンバーとして高い評価を得ていたキーボード奏者【ケニー・カークランド】。
・父エリス・マルサリスと同じく全員がジャズ・ミュージシャンのマルサリス兄弟の長男であり
卓越した才能に恵まれたテナー&ソプラノサックス奏者【ブランフォード・マルサリス】。
・ポリスのツアーでバックボーカルを担当していた【ドレット・マクドナルド】と【ジャニス・ベンダーヴィス】。
・そしてギターとボーカルに【スティング】。
ジャズ畑のツワモノを揃えて、スティングが挑んだのは、ジャズとロック、芸術性と娯楽性を
ハイレベルで融合した音楽。求めるサウンドの純度が高く、創造力がぶつかり合う熱を発する
新しい音楽。
それをスティングと6人の仲間たちは3作のアルバムで実現した。
『ブルー・タートルの夢』(The Dream Of The Blue Turtles/1985年)
『ブリング・オン・ザ・ナイト』(Bring On The Night/1986年)
『ナッシング・ライク・ザ・サン』(Nothing Like The Sun/1987年)

1985年、アルバム『ブルー・タートルの夢』リリース後、パリから15キロほど離れた郊外に佇む
美しい古城クールソン、その城にある音響に優れたミュージック・サロンで、“ブルー・タートル・バンド”は
リハーサルを行なった。アルバム発表を受けてのツアーのためだ。
この古城でのリハーサルと、ワールド・ツアーの最初を飾るパリでのコンサートの模様を収めた
ドキュメンタリー映画『Bring On The Night』が製作されている。
冒頭の記者会見でスティング自身がこう語っている。
「ザ・バンドの『ラストワルツ』をはじめ、バンドの解散を扱った作品はぎょうさんあると思うねんな。
せやけど、これはバンドの誕生を記録した貴重な映画であるからして、皆の衆、心して観るように」
下の2つの映像はその映画『Bring On The Night』からのものだ。
古城でのリハーサルの映像は、まさにひとつのバンドが誕生する瞬間を目の当たりにできる。
そこに全員のインタビューと、堅物の英国人スティングを陽気なアメリカンたちがからかうといった、
オフショットが挟まれて非常に面白い。
映画のクライマックスのひとつは、スティングの恋人(妻かも)トゥルーディーが4人目(3人目かも)
の子を出産する、感動的なシーンだ。2日目のコンサートが終わった後に、スティングは病院へ駆けつけ、
立ち会い、トゥルーディーは無事に出産する。僕はこれを観て、自分も子どもが生まれるときは
必ず立ち会おうと決め、実際にそうした。
【Bring on the night】より
スティングとオマー、ドレット、ジャニスの4人がコーラスのリハーサルをやっている。
そのリハの映像からパッとコンサートのシーンへ切り替わる編集テクが鳥肌ものだ。
▼「We Work The Black Seam Together」埋め込み無効・・・・くやしい!!!
http://www.youtube.com/watch?v=7oUAUj_QhmE&feature=related
下の映像で赤い帽子を被って踊っている男子はスティングにスチールを一任されていたカメラマン。
アルバム『ブルー・タートルの夢』の写真は全部彼の手によるものだ。すごくいい写真を撮っていたが、
その後どうなったのだろう。
ソプラノサックスを吹いているブランフォード・マルサリスはルイジアナ州ニューオーリンズ生まれだが、
ロサンゼルス・レイカーズのトレーナーとニューヨック・メッツのキャップを着用している。
ワケがわからんヤツだ。でも、メッツのキャップを被っているっていうことは・・・いいヤツなのだ。
▼「Driven To Tears」
ちなみに、Wikipediaによると、スティングが影響を受けたミュージシャンは、ボブ・ディラン、
セロニアス・モンク、チャーリー・ミンガス、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンとなっている。
マイルスとコルトレーンの2ホーンにモンクのピアノ、リズム隊はミンガスと・・・マックス・ローチだな。
このドリーム・コンボをバックにボブ・ディランが歌うセッションを聴いてみたいものだ。
僕にとって、スティングは、『Nothing Like The Sun』で終わっている。
『Nothing Like The Sun』は、深い悲しみと嘆き、それを包み込むような愛に満ちた、
希にみる美しいアルバムだ。6曲目の『Fragile』はスティングが書いたベストソングだと思う。
その後の彼の音楽は、残念ながら、イージーリスニングにしか聴こえない。
by kzofigo | 2011-04-04 16:35 | ミュージック・ブック























