パニック障害とバスガス爆発
毎年、季節が 『冬の散歩道』 を歩き始めると、気温と一緒に体調が下がる。
しかも、今年は、【夏長秋欠】とあって、調子の下がり具合がキツイみたいだ。
先日、オセラ編集部のある出版社まで文字校正を持って行ったとき、
駐車場にとめた車のなかで【パニック障害】の発作が始まってしまった。
いままで、発作が起きたとき、何回か救急車に乗ったし、
道路沿いの食料品店の駐車場に車を急停車して店の人に助けを求めたこともあるし、
映画館から行きつけの内科医までタクシーを飛ばしたこともあるし……etc.
そういった長年の経験から、下のオセラ・メールマガジンで書いたように、
パニック障害の発作を「しのぐすべ」がだんだんと身に付いてきたようだ。
発作中はしゃべることもできない。
常備している頓服薬を飲んで、嵐が通り過ぎるのをじっとやり過ごし、
発作が落ち着いてから、担当美人エディターに携帯電話で事情を話し車まで来てもらった。
僕は、40歳を過ぎてからパソコンや携帯を使うようになったケダモノの世代だから、
こんなチマチマした画面に視界を長時間にわたって固定させられるシロモノを、
すげー疎ましいと感じているが、こういう緊急事態には助かる。
頼んでおいたペットボトル入りのクール・ウォーター飲んで(←これ、気持ちが落ち着くんだ)、
必要な書類を渡し、発作が治まっても車を運転するエネルギーはないんで、
タクシーを呼んでもらい、ワゴンRは駐車場に置いて帰った。
担当美人エディターのJJさん。本当にお世話になりました。助かりました。好きです。
さて、次の日。問題は、どうやってワゴンRを取りに行くかだ。バスで行くことにした。
パニック障害につきまとう【予期不安】のせいで公共の交通機関に乗れない。
なかでもバスは最も苦手で、何回も乗ろうとトライしたけど、一度も乗れていない。
※予期不安…一度発作を起こしてしまうと「また発作が起きるのではないか?」「死んでしまうのではないか?」「誰も助けにやって来てくれないのではないか?」といった不安にかられる症状。深刻になると、予期不安が引きがねで発作が起きるようになることもある。僕もなった。
でも、その日は違った。天気がよくて、ぽかぽか陽気。
平日の昼下がりで1時間に2本の路線バスが、あと5分でやって来る幸運も大きかった。
左胸に多少の不安感を抱えていたけど、何も考えないで来たバスに乗った。
乗れた。乗れたよ。
何十年ぶりだろう? この前いつ路線バスに乗ったかも思い出せない。
真ん中のドアから乗って整理券を取って、そのバス停からの料金を払うシステムは、
30年以上前の高校時代と変わってなかった。
担当美人エディターJJさんに(心のなかで「好きです」と言いながら)お礼のチョコを渡して、
無事にワゴンRに乗って、途中ユニクロ中仙道店に寄る余裕も見せて、帰れたのさ。
こうやって、ひとつずつ、できなかったことを克服して、パニック発作とオサラバして、
1989年5月4日以前のように、あたり前に生活や仕事がバリバリできるといいなあ。
マジでそう思うよ!!!
何度も何度も失敗して、「バス、ガス爆発」が言えるようになったみたいにさ。
「バス、ガスガスガス」…言えてないさ!
しかも、今年は、【夏長秋欠】とあって、調子の下がり具合がキツイみたいだ。
先日、オセラ編集部のある出版社まで文字校正を持って行ったとき、
駐車場にとめた車のなかで【パニック障害】の発作が始まってしまった。
いままで、発作が起きたとき、何回か救急車に乗ったし、
道路沿いの食料品店の駐車場に車を急停車して店の人に助けを求めたこともあるし、
映画館から行きつけの内科医までタクシーを飛ばしたこともあるし……etc.
そういった長年の経験から、下のオセラ・メールマガジンで書いたように、
パニック障害の発作を「しのぐすべ」がだんだんと身に付いてきたようだ。
オセラ・メルマガ198号(2010年8月31日発行)より
■死ぬ覚悟
先日、何年ぶりかで「パニック障害」の発作が起きた。4年前に離婚してから節約のために部屋と車のエアコンを使わずにきた。今年の猛暑が体に堪えたのだろう。8月は同業の先輩諸氏と話したりハローワークを訪ねたりと「就活」に勤しむ予定だったが、療養を余儀なくされた。
「パニック障害」の発作は人によって症状がさまざまだが、僕の場合は激しい動悸。そして、「このまま死ぬんじゃないか」という恐怖で頭が狂いそうになること。最初に発作が起きたのは1989年5月4日。よく覚えている。まだ「パニック障害」という病名自体がない頃だ。
新宿駅に滑り込む地下鉄・丸の内線の車中で降りようと腰を浮かした時だった。心臓発作に襲われた。その瞬間、死を覚悟した。胸と背中の肋骨を砕いて心臓が破裂して飛び出したと思った。乗客と駅員に助けられ救急車で病院に運び込まれた。時間が経つと治まり心電図も異常はなかった。
しかし、その日以来、動悸と不安発作に悩まされ、行動範囲がどんどん狭くなっていった。電車で倒れたから、電車に乗れない。タクシーにも乗れなくなった。ATMやコンビニのレジで並べなくなり、ひとりで飲食店に入れなくなり、最後には家から出られなくなった。「こんな体じゃあ生きていても仕方がない」と死に方を考え始めた時、父が迎えに来てくれて何とか帰省して静養できた。
最初の発作から20年。今では「パニック障害」専用の薬を服用し、発作を乗り切るコツも分かってきた。動悸を拒絶せず受け入れ、「このまま死んでもいい」と開き直るのだ。恐怖心が和らぐ。すると治まりも早い。
▲これは映画 『死んでもいい』
短絡的に過ぎるかもしれないが、これは処世術として生かせると思う。「死ぬ覚悟」がありさえすれば怖いものは何もない。もし、連続通り魔殺人の現場の渦中に居合わせてしまっても、大切な人を護るため、逆巻く水に架ける橋のように身を投げ出すことも、盾になることもできるだろう。
発作中はしゃべることもできない。
常備している頓服薬を飲んで、嵐が通り過ぎるのをじっとやり過ごし、
発作が落ち着いてから、担当美人エディターに携帯電話で事情を話し車まで来てもらった。
僕は、40歳を過ぎてからパソコンや携帯を使うようになったケダモノの世代だから、
こんなチマチマした画面に視界を長時間にわたって固定させられるシロモノを、
すげー疎ましいと感じているが、こういう緊急事態には助かる。
頼んでおいたペットボトル入りのクール・ウォーター飲んで(←これ、気持ちが落ち着くんだ)、
必要な書類を渡し、発作が治まっても車を運転するエネルギーはないんで、
タクシーを呼んでもらい、ワゴンRは駐車場に置いて帰った。
担当美人エディターのJJさん。本当にお世話になりました。助かりました。好きです。
さて、次の日。問題は、どうやってワゴンRを取りに行くかだ。バスで行くことにした。
パニック障害につきまとう【予期不安】のせいで公共の交通機関に乗れない。
なかでもバスは最も苦手で、何回も乗ろうとトライしたけど、一度も乗れていない。
※予期不安…一度発作を起こしてしまうと「また発作が起きるのではないか?」「死んでしまうのではないか?」「誰も助けにやって来てくれないのではないか?」といった不安にかられる症状。深刻になると、予期不安が引きがねで発作が起きるようになることもある。僕もなった。
でも、その日は違った。天気がよくて、ぽかぽか陽気。
平日の昼下がりで1時間に2本の路線バスが、あと5分でやって来る幸運も大きかった。
左胸に多少の不安感を抱えていたけど、何も考えないで来たバスに乗った。
乗れた。乗れたよ。
何十年ぶりだろう? この前いつ路線バスに乗ったかも思い出せない。
真ん中のドアから乗って整理券を取って、そのバス停からの料金を払うシステムは、
30年以上前の高校時代と変わってなかった。
担当美人エディターJJさんに(心のなかで「好きです」と言いながら)お礼のチョコを渡して、
無事にワゴンRに乗って、途中ユニクロ中仙道店に寄る余裕も見せて、帰れたのさ。
こうやって、ひとつずつ、できなかったことを克服して、パニック発作とオサラバして、
1989年5月4日以前のように、あたり前に生活や仕事がバリバリできるといいなあ。
マジでそう思うよ!!!
何度も何度も失敗して、「バス、ガス爆発」が言えるようになったみたいにさ。
「バス、ガスガスガス」…言えてないさ!
by kzofigo | 2010-12-09 15:14 | ヘルス・エンジェルス