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Michael is still alive here.     

あれは1984年の4月か5月だったと思う。
大阪から東京に行き、R社でアルバイトを始めて半年経った頃。
新入社員歓迎のかくし芸大会があった。
僕らのグループはマイケル・ジャクソンの『スリラー』を踊った。僕はマイケル役だった。
信じてもらえないだろうが、僕はダンスが得意だったのだ。
出番の前に地下駐車場で最後の「通し」をやった。
ずっと見ていてくれた清掃会社のおじさんやおばさんから拍手が起きた。
素晴らしいパフォーマンスだった。
結果、松田聖子の歌マネをやった取締役のKさんと最優秀賞を競って準グランプリになった。

マイケル・ジャクソンにまつわる懐かしい思い出。


モータウン時代のJackson5と
1st solo『Off The Wall』での君は最高だったよ。



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01.Don't stop till you get enough
http://www.youtube.com/watch?v=HrPTDU40hO4

マイケルの語りのあとイントロが始まると体に火がついて踊りたくなる。郷ひろみのダンスがマイケルのパクリだっていうことがよく分かるPV。あ、僕は郷ひろみ、「ハリウッド・スキャンダル」以来のファンだよ。この曲は当時SUZUKI LOVEのCMに使われて、マイケル本人がスクーターに乗っている映像がお茶の間に流れていた。





02.Rock With You
http://www.youtube.com/watch?v=sQG4xCeHlj0

ロッド・テンパートンがマイケルに書き下ろしてきた数々の傑作のなかでも間違いなく極上の部類に入るダンスナンバー。アルバム全体もそうなんだけど、とくにこの曲を聴きPVを見ていると、自分の勝手な想像ながら、マイケルの喜びが、悲しみを上回った大切な瞬間を見ているようで、泣けてくるんだよ。

03.Working Day And Night
http://www.youtube.com/watch?v=XzlRrZPxdaI

クインシー・ジョーンズのアレンジセンスに脱帽のナンバー。下に列挙した参加ミュージシャンの力量にも。そう、このアルバムはね、マイケルのヴォーカルと同じくらい演奏が素晴らしいんだ。

フィル・アップチャーチ、ラリー・カールトン、ワー・ワー・ワトソン(Guitar)/ルイス・ジョンソン(Bass)/ジョン・ロビンソン(Drums)/ポウリーニョ・ダ・コスタ(Percussion)/デヴィッド・フォスター、ステーヴ・ポーカロ、ジョージ・デューク(Keyboards)/THE SEAWIND HORNS(Horn Section)

04.Get on the floor
http://www.youtube.com/watch?v=oJCThqt8SzI

マイケルとベースのルイス・ジョンソンとの共作。ルイス・ジョンソンのファンキーなチョッパーベースがたまんないっす!

05.Off The Wall - Live in Japan'87
http://www.youtube.com/watch?v=Lq3aWW9hcVk&feature=related

「Bad Tour 1987」日本公演からのライヴ・ヴァージョン。どこのスタジアムだろう? マイケルは舞台演出も自分でやってたけど、このパフォーマンスはベストに近いと思う。

06.Girlfriend
http://www.youtube.com/watch?v=9aJyDMcC7ao

ポール・マッカートニー&ウイングスのアルバム『London Town』収録曲のカヴァー。

07.She's Out Of My Life


何度レコーディングをやっても、マイケルが最後に泣いてしまい、くり返し録り直したけど、結局そのままアルバムに収録されることになったらしい。ギターはラリー・カールトン。僕がマイケル・ジャクソンと聞いて思い浮かべるのは、このマイケルだ。

08.I can't help it
http://www.youtube.com/watch?v=RpFTmBBIcy4&feature=related

スティーヴィー・ワンダーとスーゼイ・グリーン(誰だ?)による共作。アレンジがフュージョンと呼んでもいいくらいマイルドな仕上がり。

09.It's the falling in love
http://www.youtube.com/watch?v=u53JU60WP6k

バート・バカラックの元夫人でもあるキャロル・ベイヤー・セイガーとグラミー賞受賞プロデューサーでもあるデヴィッド・フォスターとの共作。アルバム中最もAORテイストを感じさせる曲。当時クインシー・ジョーンズに認め始められていたパティ・オースティンがマイケルとデュエットしている。

10.Burn This Disco Out
http://www.youtube.com/watch?v=5lH_LCHUp6E

「シーウインド・ホーンズ」のホーンが乗りまくっているディスコ・チューン。1曲たりとも捨て曲がないこのアルバムを締めくくるにふさわしいファンク・サウンドが炸裂したナンバー。


音楽評論家:湯川れい子さんの話

 EXILEなど日本のパフォーマーのルーツはマイケルだといってもいいでしょう。かつてはアメリカでもダンサーと歌手は別ものでしたが、彼によって歌いながら踊るというスタイルが生まれた。ミュージカルと違う新しい舞台パフォーマンスの誕生でした。

 13歳で来日したときのマイケルは、ステージパパにつきそわれて、明るくハキハキ答える本当にかわいい男の子でした。ところが21歳のマイケルとロサンゼルスで再会して、そのイメージが吹き飛んだことをはっきり覚えている。彼は「スーパーマンなどスターやヒーローはすべて白人だ」など白人を批判するようなことを言っていました。おそらくコンプレックスや人種差別に対する反発心が生まれてきていたのでしょう。

 死因はまだわからないでしょうが、マイケルには専属の医師や看護師がつき、さまざまな薬を飲んでいたようです。彼の家族も心配していましたが、50歳の若さでこんなことになるとは驚きました。「大衆がスターをつくり、大衆がスターを殺す」という言葉がありますが、いろいろな意味で彼の死は本当に悔しい。


R.I.P. Michael.

by kzofigo | 2009-06-26 15:02 | ミュージック・ブック