ジャッキー・ロビンソン・デイ・・・
本日、米国時間4月15日は、それまで有色人種を排除していたメジャーリーグベースボール(MLB)において、アフリカ系アメリカ人選手として初めて、1947年4月15日にブルックリン・ドジャースでデビューし、めざましい活躍をみせ、有色人種のメジャーリーグ参加の道を開いた、偉大な選手ジャッキー・ロビンソンを称える日である。

ジャッキー・ロビンソンが残した、MLBオールセンチュリー・チームの二塁手部門に1位で選ばれるほどの偉大なる足跡は、メジャーへの黒人選手受け入れを早める役割を果たし、ハンク・アーロンやウイリー・メイズ、サッチェル・ペイジのメジャーデビューの足がかりとなった。メジャーリーグのみならず、人種差別問題そのものへ与えた影響も非常に大きい。
ジャッキー・ロビンソンのメジャーデビュー50年目にあたる1997年4月15日、その功績を称えて、ロビンソンの背番号42が全球団共通の永久欠番となった。ただし、ヤンキースの守護神マリアーノ・リベラなど、それ以前から背番号42をつけていた選手に関しては、特例として背番号42を継続使用することが許可されている。
2004年4月15日からはこの日が「ジャッキー・ロビンソン・デイ」とされて、メジャーリーグの記念日となった。また2007年の同日には、ケン・グリフィーJr.のコミッショナーへの提案によって、希望する選手全員が背番号42を着用して試合に出場した。そして今年の4月15日は、選手のみならず監督やコーチ、審判に至るまでMLB関係者全員が背番号42を着用するようになったみたいだ。
▼10年ぶりにシアトルに帰って来たケン・グリフィーJr.はもちろん背番号42

▼マリナーズの先発ウォッシュバーンも背番号42

▼エンゼルス・ハンターも背番号42

▼同アイバーも背番号42

▼DL明けのイチローも背番号42
この後ユンケルパワーでグランドスラムを放つ

それにしても、ケン・グリフィーJr.がホームランを打ったときのスイングとボールが描く放物線は相変わらず美しい。試合後、インタビュアーがイチローにグリフィーとのアベック・ホームランのことを聞いていたが、イチローの「チャベスとのメジャー最軽量アベックもあるなと思った」という回答が可笑しかった。
イチローは今日の2安打でデビューから9年連続200安打のメジャー新記録まであと198本に迫った。嗚呼、また「4の4」や「3の0」といった数字に一喜一憂させられる、夢と希望と憂鬱と失望とリアリティとロマンにあふれた毎日の始まりである。できれば「5の5」とかに少しでも多く恵まれるシーズンでありますように。
DL明けの調子を見守っていたが、心配は杞憂に終わりそうだ。
1.遊ライナー/開幕セレモニー。初球が打てる球なら打ちにいくと決めて打った。
外角低めに逃げていくボールに体が自然に反応。レフト前を狙ったがショート正面に行っただけ。
2.中安打/真ん中高めの変化球をセンター返し。楽勝。
3.右フライ/2死1・3塁で長打を狙いにいったミスショット。
4.二ゴロ併殺/1死1・2塁で進塁打狙い。内野ゴロが野手の正面に転がっただけ。
内野安打と紙一重。
5.右本塁打/1死満塁。ボールを見逃しストライクをファールに。カウント3-2にして
決め球の内角低目スライダーをすくい上げた。本人は「当てるのに必死」と言ってるが
ホームランにしたスイングは体が自然に反応したものに見えた。
イチロー、完全に実戦モード。これなら4月中に20安打はクリアできるかも。
チャベス、グティエレス、イチローと名手がそろった外野守備も楽しみだ。
余談になるが、僕の一番好きな大リーグ球団はブルックリン・ドジャースである。1958年、僕が生まれた年に、ドジャースが西海岸のロサンゼルスへ、同じニューヨーク・マンハッタンに本拠を構えていたジャイアンツがサンフランシスコへ移転した。これは困った。好きな球団が生まれてみたら無くなっていたのである。
1962年、MLBではナショナルリーグ球団拡張を期にニューヨーク・メッツが誕生した。球団名は都会っ子を意味するMetropolitansからとられた。 チームカラーのうち、ブルーはドジャース、黒とオレンジはジャイアンツから取ったものだ。そこで僕は、ドジャースのチームカラーを受け継いだニューヨーク・メッツのファンになったのだ。
▼メッツもGary Sheffieldも背番号42


ジャッキー・ロビンソンが残した、MLBオールセンチュリー・チームの二塁手部門に1位で選ばれるほどの偉大なる足跡は、メジャーへの黒人選手受け入れを早める役割を果たし、ハンク・アーロンやウイリー・メイズ、サッチェル・ペイジのメジャーデビューの足がかりとなった。メジャーリーグのみならず、人種差別問題そのものへ与えた影響も非常に大きい。
ジャッキー・ロビンソンのメジャーデビュー50年目にあたる1997年4月15日、その功績を称えて、ロビンソンの背番号42が全球団共通の永久欠番となった。ただし、ヤンキースの守護神マリアーノ・リベラなど、それ以前から背番号42をつけていた選手に関しては、特例として背番号42を継続使用することが許可されている。
2004年4月15日からはこの日が「ジャッキー・ロビンソン・デイ」とされて、メジャーリーグの記念日となった。また2007年の同日には、ケン・グリフィーJr.のコミッショナーへの提案によって、希望する選手全員が背番号42を着用して試合に出場した。そして今年の4月15日は、選手のみならず監督やコーチ、審判に至るまでMLB関係者全員が背番号42を着用するようになったみたいだ。
▼10年ぶりにシアトルに帰って来たケン・グリフィーJr.はもちろん背番号42

▼マリナーズの先発ウォッシュバーンも背番号42

▼エンゼルス・ハンターも背番号42

▼同アイバーも背番号42

▼DL明けのイチローも背番号42
この後ユンケルパワーでグランドスラムを放つ

それにしても、ケン・グリフィーJr.がホームランを打ったときのスイングとボールが描く放物線は相変わらず美しい。試合後、インタビュアーがイチローにグリフィーとのアベック・ホームランのことを聞いていたが、イチローの「チャベスとのメジャー最軽量アベックもあるなと思った」という回答が可笑しかった。
イチローは今日の2安打でデビューから9年連続200安打のメジャー新記録まであと198本に迫った。嗚呼、また「4の4」や「3の0」といった数字に一喜一憂させられる、夢と希望と憂鬱と失望とリアリティとロマンにあふれた毎日の始まりである。できれば「5の5」とかに少しでも多く恵まれるシーズンでありますように。
DL明けの調子を見守っていたが、心配は杞憂に終わりそうだ。
1.遊ライナー/開幕セレモニー。初球が打てる球なら打ちにいくと決めて打った。
外角低めに逃げていくボールに体が自然に反応。レフト前を狙ったがショート正面に行っただけ。
2.中安打/真ん中高めの変化球をセンター返し。楽勝。
3.右フライ/2死1・3塁で長打を狙いにいったミスショット。
4.二ゴロ併殺/1死1・2塁で進塁打狙い。内野ゴロが野手の正面に転がっただけ。
内野安打と紙一重。
5.右本塁打/1死満塁。ボールを見逃しストライクをファールに。カウント3-2にして
決め球の内角低目スライダーをすくい上げた。本人は「当てるのに必死」と言ってるが
ホームランにしたスイングは体が自然に反応したものに見えた。
イチロー、完全に実戦モード。これなら4月中に20安打はクリアできるかも。
チャベス、グティエレス、イチローと名手がそろった外野守備も楽しみだ。
余談になるが、僕の一番好きな大リーグ球団はブルックリン・ドジャースである。1958年、僕が生まれた年に、ドジャースが西海岸のロサンゼルスへ、同じニューヨーク・マンハッタンに本拠を構えていたジャイアンツがサンフランシスコへ移転した。これは困った。好きな球団が生まれてみたら無くなっていたのである。
1962年、MLBではナショナルリーグ球団拡張を期にニューヨーク・メッツが誕生した。球団名は都会っ子を意味するMetropolitansからとられた。 チームカラーのうち、ブルーはドジャース、黒とオレンジはジャイアンツから取ったものだ。そこで僕は、ドジャースのチームカラーを受け継いだニューヨーク・メッツのファンになったのだ。
▼メッツもGary Sheffieldも背番号42

by kzofigo | 2009-04-16 16:43 | 私をメジャーに連れてって























