宇宙の法則・・・
小学校4年の頃、宇宙に興味があって、宇宙の果てについて考えていたら、小4の頭脳のキャパを超える領域に足を踏み入れてしまったのか、恐怖感にとりつかれてパニックになってしまった。同じようなことは、生と死について考えても起きた。自分の意識が無くなるということに恐怖を覚えた。
小5の時、「物事を深く考えてみよう」という作文の宿題が出た。「人生は有限だ。限りある生だから一生懸命に生きなければならない」みたいな、成人の日にNHKがやっていた青年の主張のような内容のことを書いた。担任は「ずいぶん深く考えたものだねえ」という感想を朱書きしていた。
作文に書いたようなことは、当時、これっぽっちも考えていなかった。ただそれを書いて、「無」や「無限」に対するパニックの根を封印したかっただけだ。僕は小学生の時の自分が大嫌いだ。ひと言でいえば「教師に都合のいい生徒」だった。そういう生徒を演じていた自分には反吐が出る。

小6になって番長グループに入り、生と死より性と自慰に割く時間が増えて、クリの薄皮がむけるように、やっと自分の本性が姿を現わし、思っていることと行なうことがイコールに近くなって、息をするのが楽になった。思春期は不安定だというけど、中学生の頃は根拠のない全能感に突き動かされ、考えるより先に行動するようになって、さらに楽になった。
高校時代はドロップアウトしたこともあるけど、自分をもてあますことはなかった。連れと話すのは楽しかったので「学校に行く」のは好きだったが、俺たちを見下す教師がのさばっていた「学校そのもの」は冷ややかに嫌悪していた。興味の対象は学校の外で巻き起こっていることばかりだった。
何でこんなしょーもない作文を書いてるんだろう。
30歳でパニック障害という具体的な病気を患ってからは、抽象的な概念でパニックになることも無くなったように思う。いいことなのか、どうなのか、分からないけどさ。
この文章は下の小惑星が書かせたのかも・・・
▼「都市一つ壊滅したかも」小惑星あわや激突…豪学者が観測
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090306-00000518-yom-sci
『宇宙の法則』とは井筒和幸監督の1990年の作品。
主演は故・古尾谷雅人。
相当に好きな映画だ。
生産が終了してるんでレンタル屋にあるかなあ。
あったら観る価値あると思うよ。
タイトルと内容が1億光年ぐらい離れてるけどね。
小5の時、「物事を深く考えてみよう」という作文の宿題が出た。「人生は有限だ。限りある生だから一生懸命に生きなければならない」みたいな、成人の日にNHKがやっていた青年の主張のような内容のことを書いた。担任は「ずいぶん深く考えたものだねえ」という感想を朱書きしていた。
作文に書いたようなことは、当時、これっぽっちも考えていなかった。ただそれを書いて、「無」や「無限」に対するパニックの根を封印したかっただけだ。僕は小学生の時の自分が大嫌いだ。ひと言でいえば「教師に都合のいい生徒」だった。そういう生徒を演じていた自分には反吐が出る。

小6になって番長グループに入り、生と死より性と自慰に割く時間が増えて、クリの薄皮がむけるように、やっと自分の本性が姿を現わし、思っていることと行なうことがイコールに近くなって、息をするのが楽になった。思春期は不安定だというけど、中学生の頃は根拠のない全能感に突き動かされ、考えるより先に行動するようになって、さらに楽になった。
高校時代はドロップアウトしたこともあるけど、自分をもてあますことはなかった。連れと話すのは楽しかったので「学校に行く」のは好きだったが、俺たちを見下す教師がのさばっていた「学校そのもの」は冷ややかに嫌悪していた。興味の対象は学校の外で巻き起こっていることばかりだった。
何でこんなしょーもない作文を書いてるんだろう。
30歳でパニック障害という具体的な病気を患ってからは、抽象的な概念でパニックになることも無くなったように思う。いいことなのか、どうなのか、分からないけどさ。
この文章は下の小惑星が書かせたのかも・・・
▼「都市一つ壊滅したかも」小惑星あわや激突…豪学者が観測
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090306-00000518-yom-sci
『宇宙の法則』とは井筒和幸監督の1990年の作品。主演は故・古尾谷雅人。
相当に好きな映画だ。
生産が終了してるんでレンタル屋にあるかなあ。
あったら観る価値あると思うよ。
タイトルと内容が1億光年ぐらい離れてるけどね。
by kzofigo | 2009-03-05 23:00 | マイ・ライフ























