直島へ帰って来た 6
小学生の頃は、毎年夏休みになると、1週間は直島に帰って、毎日泳ぎに行った。
その海水浴場がこの「たるみ」(たぶん足海)だ。ここは本村を中心に地元の人たちが遊びに来る、ちょっとしたプライベート・ビーチみたいなところだった。生家からは歩いて来れる。少し沖にある岩場は、いわば自然がこしらえた潜水艦。「足海礁」と呼ばれている。
今は真ん中のところに、なぜかコンクリートで変なものが作られているが、以前は本物の潜水艦のように自然の岩で形作られた「あたま」があった。近いように見えるが、小学生が泳いでいくには危険なので、遠泳は禁止されていた。
中3の時、クラスメート3人と泳ぎに行った際に、禁を破った。4人で足海礁までまず泳ぎ着き、少し休んだあと左側に見える向島の猫ヶ鼻まで泳いだ。30分ぐらいかかったと思う。潮の流れが急なのとクラゲが難敵だった。直島への海水浴は大学を卒業するまで続いたと記憶している。

こっちは島の南端にある「ごたんじ」(たぶん琴反地)と呼ばれる海水浴場。ここは遠浅で海岸線が長く、島民だけでなく観光客も大勢来た。いまは冬で海も荒れているけど、波が穏やかな夏は、水中メガネをして泳いでいるだけで、手づかみで魚が獲れたほど遠浅で海水もきれいだった。昔はね。ずっと向こうに見える街は高松だよ、きっと。

こっちも琴反地なんだけど、いまはベネッセの所有地。僕らが中学の頃は、藤田観光が開発して、(たぶん)「藤田直島パラダイス」という海水浴場を経営していたよ。大きな海の家もあってさ。右側に見えるオカメノ鼻が海水浴客用のフェリーの船着場に使われてたぐらい繁盛していた。
沖にドラム缶で浮かせたイカダがあってさ、泳いで行って寝転んで真夏の太陽にギラギラ照らされてるだけで、なんか満ち足りてた。クラスメート3人とはパラダイスにも来たな。海の家にジューク・ボックスがあってさ、イカダで聞いてると、次々に違う客がコインを入れてるのに、かかる曲が同じなんだ。カーペンターズの『イエスタデイ・ワンス・モア』。カレンはもういないんだね。
信じられないな。あの頃は人生が永遠に続くと思ってた。なーんてね。

その海水浴場がこの「たるみ」(たぶん足海)だ。ここは本村を中心に地元の人たちが遊びに来る、ちょっとしたプライベート・ビーチみたいなところだった。生家からは歩いて来れる。少し沖にある岩場は、いわば自然がこしらえた潜水艦。「足海礁」と呼ばれている。
今は真ん中のところに、なぜかコンクリートで変なものが作られているが、以前は本物の潜水艦のように自然の岩で形作られた「あたま」があった。近いように見えるが、小学生が泳いでいくには危険なので、遠泳は禁止されていた。
中3の時、クラスメート3人と泳ぎに行った際に、禁を破った。4人で足海礁までまず泳ぎ着き、少し休んだあと左側に見える向島の猫ヶ鼻まで泳いだ。30分ぐらいかかったと思う。潮の流れが急なのとクラゲが難敵だった。直島への海水浴は大学を卒業するまで続いたと記憶している。

こっちは島の南端にある「ごたんじ」(たぶん琴反地)と呼ばれる海水浴場。ここは遠浅で海岸線が長く、島民だけでなく観光客も大勢来た。いまは冬で海も荒れているけど、波が穏やかな夏は、水中メガネをして泳いでいるだけで、手づかみで魚が獲れたほど遠浅で海水もきれいだった。昔はね。ずっと向こうに見える街は高松だよ、きっと。

こっちも琴反地なんだけど、いまはベネッセの所有地。僕らが中学の頃は、藤田観光が開発して、(たぶん)「藤田直島パラダイス」という海水浴場を経営していたよ。大きな海の家もあってさ。右側に見えるオカメノ鼻が海水浴客用のフェリーの船着場に使われてたぐらい繁盛していた。
沖にドラム缶で浮かせたイカダがあってさ、泳いで行って寝転んで真夏の太陽にギラギラ照らされてるだけで、なんか満ち足りてた。クラスメート3人とはパラダイスにも来たな。海の家にジューク・ボックスがあってさ、イカダで聞いてると、次々に違う客がコインを入れてるのに、かかる曲が同じなんだ。カーペンターズの『イエスタデイ・ワンス・モア』。カレンはもういないんだね。
信じられないな。あの頃は人生が永遠に続くと思ってた。なーんてね。

by kzofigo | 2009-01-28 01:50 | トラベリング・ボーイ























