直島へ帰って来た 2
昨日は奇跡的に8時に起きれたが、今朝は11時までふとんから出られなかった。
冷え込んだなか、動き回り、話し込み、運転して、もうクタクタ。今日はもう休養日!
◆
さて、直島で何をさておき一番最初に見るべきものは、小学校と中学校の校舎だ。
▼直島小学校
直島小学校の校舎は、設計を東京大学吉武泰水教授に依頼し、1970年(昭和45年)に、石井和紘建築事務所の設計による直島中学校の校舎は1979年(昭和54年)に落成。
とくに小学校はいま見てもユニークで斬新だが、完成したのは大阪万博の年。当時は万博のどのパビリオンをも凌駕するような強烈なインパクトがあった。小・中とも教室が明るくオープンなつくりで、児童・生徒が大らかに育つことに好影響を与えていると思う。
▼直島中学校
忘れちゃならないのが、石井和紘設計室の設計で1983年(昭和58年)に完成した直島町役場。とにかく目立っている。直島のランドマークだといっていい。「洗練」に反旗をひるがえすアンチ・モダンのデザインは、ある意味、直島の「元気」を象徴している。
▼直島町役場
ちなみに、この建物の長(おさ)である浜田直島町長は、母の7人きょうだいの三男、叔父である。町役場には安土桃山時代の名建築の意匠が採用されているらしいが、それがどこかは、はっきりと分からない。窓枠や壁、屋根の「そり」だろうか。一番上の宮細工風の屋根だろうか。おっちゃんに聞いとけばよかった。
▼松島大三郎翁像
町役場正面に佇む松島大三郎先生の胸像。何をされたお方かは知らない。
でもちゃんと拝んでおこう。
冷え込んだなか、動き回り、話し込み、運転して、もうクタクタ。今日はもう休養日!
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さて、直島で何をさておき一番最初に見るべきものは、小学校と中学校の校舎だ。
▼直島小学校

直島小学校の校舎は、設計を東京大学吉武泰水教授に依頼し、1970年(昭和45年)に、石井和紘建築事務所の設計による直島中学校の校舎は1979年(昭和54年)に落成。
とくに小学校はいま見てもユニークで斬新だが、完成したのは大阪万博の年。当時は万博のどのパビリオンをも凌駕するような強烈なインパクトがあった。小・中とも教室が明るくオープンなつくりで、児童・生徒が大らかに育つことに好影響を与えていると思う。
▼直島中学校

忘れちゃならないのが、石井和紘設計室の設計で1983年(昭和58年)に完成した直島町役場。とにかく目立っている。直島のランドマークだといっていい。「洗練」に反旗をひるがえすアンチ・モダンのデザインは、ある意味、直島の「元気」を象徴している。
▼直島町役場

ちなみに、この建物の長(おさ)である浜田直島町長は、母の7人きょうだいの三男、叔父である。町役場には安土桃山時代の名建築の意匠が採用されているらしいが、それがどこかは、はっきりと分からない。窓枠や壁、屋根の「そり」だろうか。一番上の宮細工風の屋根だろうか。おっちゃんに聞いとけばよかった。
▼松島大三郎翁像

町役場正面に佇む松島大三郎先生の胸像。何をされたお方かは知らない。
でもちゃんと拝んでおこう。
by kzofigo | 2009-01-25 22:22 | トラベリング・ボーイ























