Permanent Peace Photoguerrilla
ジョン・レノンを使ったプラカードの現物写真があった。
こっちの写真のほうがジョンの目がマジで好きだ。

他にも、いろいろ出てきた。
PPP(パーマネント・ピース・フォトゲリラ)は、
湾岸戦争に関係した場所に出没してプラカードを掲げ、
そこで巻き起こる出来事を、
フォトグラファーの友人にシューティングしてもらうのが主な活動内容。
とにかく、反吐が出そうな戦争に抗う思いを
行動に移したい一心で起こしたんだな。

驚くほどオープンでフランクだった。現場にいた一般人は俺たちだけ。「敷地外なら何をやってもいい」と言われた。写真は湾岸戦争で最初に世に出たスクープ写真。イラクの捕虜になった英国兵のひとり。

柔軟なイラク大使館とは違い、強硬な態度だった。大使館周辺での反戦活動は一切禁止。「お前らにそう言う権利があるのか!」と食い下がったけど、権力の犬はグルルルと威嚇に終始した。

プラカードを掲げると、警備室から慌てて守衛が飛び出してきた。困惑した表情で「だめだ!だめだ!」と追い払われたが、なんだかのんびりした雰囲気だった。今はミッドタウンになっちまったんだな。なんか寂しい。

プラカードを掲げてデモったけど、見向きもされなかった。客引きの若い子たちに、シンパシーの目でほほ笑みを返されるだけ。それにしても、オノボリサンの数はすさまじい。俺もだけど。

表参道の歩道でアクセサリーを売ってる外国人たちにジョンのプラカードを見せたら、「Hey, it's funny!」と笑ってくれた。彼らを代表してベリンダ(仮名)にスナップ撮影をお願いしたら、快くOKしてくれた。くわえタバコがよく似合う、ちょっと突っ張ったお姉さん。

代々木のホコ天は、すでに禁止されていたけど、山手通り方面に向ったところにある陸橋の下では、パンクスがギグを行なっていた。彼らとダイインをやろうと思って行ったら、人っ子ひとりいなかった。仕方がないので、ひとりダイイン。

これは別の日。最高学府の様子を見に行った。構内は平穏そのもの。タテ看の文字が可愛くて全然アジテーションになってない(笑)。俺が大学生の1980年前後、学生運動は下火だった。でも、巨大なタテ看に朱書きされた文字は迫力があったぞ。
湾岸戦争のあいだ、毎週日曜日にはPPPを行なった。
高校生数人の反戦グループが話題になりテレビでも取り上げられていた。
日本はそういう平和ボケ真っただなかの時代。
1991年1月17日、多国籍軍によるイラク爆撃で始まった湾岸戦争は、
俺たちがPPPを始めて約4週間後に停戦した。
予想より早く停戦に至ったのは、
俺たちのPPPが大きく関与していると信じている。
いいじゃん!
勝手にそう思い込んでるんだから。

言われているが、重油まみれの水鳥の写真には衝撃を受けたし、湾岸戦争を象徴していると思う。
by kzofigo | 2008-12-11 01:56 | 蒼いフォトグラフ























