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Happiness Is A Warm Gun     


今年も米国時間で12月8日がやって来る。
ジョン・レノンが凶弾に倒れてからもう28年が経つのか。

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あの日、僕は大学の3回生だった。
大阪の「文化住宅」でひとり暮らしをしていた。
部屋に電話なんてなかった。
「ジョン・レノン撃たれる」の一報をいち早く知った京都に住んでいる高校の同級生が、
わざわざ教えに来てくれた。

ピンと来なかった。
テレビのワイドショーが取り上げ始め、
FMでジョンを追悼する曲が流れ始めてもピンと来なかった。

その日、「11pm」水曜日MC愛川欽也のアシスタントだった「かたせ梨乃」をはじめ、
何人かが「追悼の意を表わして」、あるいは「冥福を祈って」、あるいは「ショックで」
番組を休んだ。

「スターティング・オーバー」や「ウーマン」を含んだ
『ダブル・ファンタジー』はいいアルバムだった。

1986年、初めてニューヨークに行ったとき、ダコタハウスとイマジンの碑を訪ねた。
それでもピンと来なかった。

Happiness Is A Warm Gun     _b0137183_14214363.jpgHappiness Is A Warm Gun     _b0137183_14234461.jpg








1990年のポール・マッカートニー来日公演を東京ドームへ聴きに行ったとき、
やっとピンと来なかった理由が分かった。
僕はビートルズの中でポールのファンだったのだ。
映画『イマジン』を観たときも、ポールが悪者に描かれているのが一番気になった。

ジョンは10月9日生まれで、僕は10月6日生まれ。
欠落した経済概念とか性格的に近すぎるものを感じていて、反面教師というか、
愛憎が入り混じった見方をしていた。そのことに気づくのに20年を費やした。



1991年、湾岸戦争が勃発した。
僕はフセインにもブッシュ(父親のほう)にも怒りを感じ、
あの胸くそ悪い戦争に反対の意を表わさずにはいられなかった。

フセインとブッシュあてに抗議文を書き、大使館へ送った。
友人2人と「PPP」(パーマネント・ピース・フォトゲリラ)と名づけた
反戦運動まがいの活動を行なった。

そのとき何枚か作ったプラカードのうち1枚に、
映画『ジョン・レノンの僕の戦争』(1967作・日本未公開)で
兵士の格好をしたジョン・レノンの写真を使った。

ジョンの曲で一番好きだった
『Happiness Is A Warm Gun』を「Happiness Is A Warm Gum」
~幸せとは使ったばかりのコンドーム~に変えてスローガンにして書いた。
これは外国人にウケた。


▼こんな感じ(本物は別カット)。Happiness Is A Warm Gun     _b0137183_1441789.jpg






















その頃、『ジョンの魂』をCDで買って、何度も何度も聴いた。
聴くたびに、打ちのめされた。
とくに「Mother」「Working Class Hero」「God」「My Mummy's Dead」には
ハラワタをえぐるように揺さぶられた。



映画『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト』のロードショーが始まった。
しかし、岡山には上映館がなくて観られない。
しょーもない駄作を上映しているシネコンのスクリーンに
生卵か転がる石でもぶつけてやりたい気分だ。
『Happiness Is A Warm Gun』を鼻歌で歌いながら。



▼Happiness Is A Warm Gun
 静止画だけど未見の写真、それもかっこいい写真が多くて楽しい。


by kzofigo | 2008-12-08 14:45 | 蒼いフォトグラフ