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10/14 黒革のシステム手帳     

12日の月曜日に9月中旬から糖尿病と肝硬変で入院している親友OTを見舞った。
9月24日と29日に見舞いに行ったときOTは元気で外出もできた。
でもここ2週間ほど調子が悪いのか連絡がとれないでいた。
前回は肝臓病にご利益のあるお守りを渡した。
今回は糖尿病平癒のお守りを渡すつもりでいた。

ナースステーションで面会できるかどうか尋ねると
看護士は「ちょっとお待ちください」と言って奥へ入って行った。
5分ほど経って看護士は戻って来た。
「もう入院されておりません」
「え? 退院したんですか?」
「ええ」
「自宅治療に切り替わったんですか?」
「個人情報なので申し上げられません。実家はご存知ですか?」
「はい」
「実家に聞いていただけますか」

実家の場所はよく覚えているのに電話番号が思い出せない。
携帯のアドレス帳を調べたがOTの実家の番号は入っていない。
大学時代は帰省すると毎日のように電話していた番号を覚えていないなんて。
同級生Nに連絡してみたが彼も覚えていなかった。
携帯を持つ前まで利用していたシステム手帳にメモしてあることを思い出した。
手帳を置いてある自宅マンションまでワゴンRを飛ばした。

長いコールのあとでお父さんが出られた。
病院でのいきさつを話した。
「だめじゃった」
「え? どういうことですか?」
『だめ』という意味が本当にまったく分からなかったんだ。
「一昨日亡くなってなあ今日葬儀じゃった」
「どういうこと・・・」
「いろいろありがとうなあ。AK君」
「・・・ご両親様にはお悔やみ申し上げます」
お父さんが苦しそうに声を絞り出しているのに気づいて自然と口をついて出ていた。

Nに電話した。
仲間たち・・・KB、GC、Y1への連絡はNにまかせた。
父に電話して喪服一式を持って迎えに来てほしいと頼んだ。
そのあいだずっと泣いていた。
体が言うことを聞かなくてベッドに倒れこんだまま泣いていた。

渡せなかったお守りを黒革のシステム手帳にはさんで握って
声を出して泣いていた。



呼び鈴を押すとお父さんが出て来られた。
少なからずOTの世話になっている父とともにご焼香をさせていただいた。
遺影は若いときのもので違和感があった。
やはりOTのトレードマークであるターゲットの帽子をかぶってないと。

休んでいたお母さんも出て来られ15分ほど話をした。
驚きと「やっぱり」という思いが半分ずつ湧き上がってきた。
OTは肝硬変ではなかった。
それを通り越して肝臓がんになり肺にまで転移して
もう手の施しようがないところまできていた。
それをぎりぎりまで両親に明かさずにいたのだ。

人に心配させたくなかったのは分かるけどさ
水くさいよOT。
苦しむ姿を人に見せないのは
立派な死にざまだけど立派過ぎるよ。
僕らは覚悟を共有したかったし
辛苦を分かち合いたかった。
意識のあるうちに「ありがとう」を伝えたかった。

お母さんは最期の16時間を息子のそばに付いていてやれて
心がずいぶんと落ち着いたそうだ。

17日にKBが大阪から帰るのを待ってN、GC、Y1が加わりOTの実家へ行った。
僕はうつのために行けなかった。
電話で仲間たちと話をした。

KBはOTが入院してから仕事が手に付かなくなって
亡くなってからは毎日OTの声が聞こえるらしい。
Nは打ち消そうとすればするほど
どうしてもOTの顔が浮かんできてしまうと言っていた。
Y1はもっとずっとつきあいたかったし
OTの将来の夢だった石垣島の家にみんなで訪ねたかったとくやしがった。
それぞれに30年以上のつきあいで思い出が多過ぎるのだ。

GCの携帯電話には不思議なことが起きた。
13日付けでOTからメールが届いたのだ。
本文にはただ「b」とだけ書かれてあった。

僕はまだOT抜きで続いていく人生をうまく受け入れられそうもない。


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季節が秋に変わった。






by kzofigo | 2009-10-14 13:13 | 家族の友